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ピーター藤・和子

2016年5月13日金曜日

Παντα δυνατα παρα τω θεω . (パンタ デュナタ パラ トオ セオウ) 神には何でもできないことはない。 神学校でギリシャ語を学んだ時この短文にメロディを付けて覚えた。家族にも覚えさせて里子も一緒に歌った。信仰が湧いてくる言葉である。

「7つの鍵の真理①」が刊行されます!


「7つの鍵の真理①」がミッションあどない・いるえから出版されます。

著者はグレン・ユーイン師とロバート・ユーイン師でピーター藤正信が翻訳と補講を行いました。


内容として目次を参考にしてください。
目   次
推薦など                                            P 1-11
目次                                                  P 12-14
前書き                                               P 15-20
著者について                                      P 21-40
緒論                                                  P 41-50   

序 章 初代教会の使徒と使徒の教え    P 51-81
  A:初代教会の使徒と使徒の教え     P 51-55
  B:ミルクの教えと義の教え     P 55-59
  C:ミルクの教え                          P 60-81
   1:キリストの教えの初歩           P 59-66
   2:死んだ行いの悔い改め           P 66-67
   3:神への信仰                          P 67-72
   4:種々の洗礼についての教え     P 72-75
   5:手を置く儀式                       P 75-77
   6:死者の復活                          P 78-78
   7:永遠の審判                          P 78-79
  ミルクの真理の図示                      P 80
  参考 イスラエル民族の歴史と   P 81
     旧約聖書に見る7つの真理

第1章 神聖なる定め(幕屋の真理)   P 82
  幕屋全体図                                 P 82
        幕屋総論            P 84-89
   A 青銅の祭壇                           P 90-96
     B 青銅の洗盤                             P 97-100
     C 幕屋                                      P 101-115
     D 備えのパンの台                       P 116-120      
     E 金の燭台                                P 121-148
    萼に見る22の満たし              P 127-141
     F 香の壇                                   P 149-154
     G 契約の箱                                P 155-161
  教会統治のための神の定め              P 162
        全体図
   a 教会の頭なるキリスト                P 163-164
   b 教会構成の3つの表現                 P 164-166 
   c 9つの油注がれた努め      P 166-171
   d 9つの油注がれた賜物                P 172-175
   e 9つの油注がれた恵み(実)       P 175-177
   御霊の実を結ぶために               P 178-182

第 2 章  安息の真理           P 183
 A 安息とは何か                              P 184-185
   B 霊魂体への安息         P 186-187
 C 魂が安息に入る7つの道               P 187-194
   D 安息を阻害する7つの要因            P 195-196
 E 神に安息をもたらす4つの事柄      P 197-203
 F 神の安息への確かな繋がり    P 204-206
   G 神の安息への4つの努め              P 206-215
 H 豊かに満ち満ちた安息                 P 215-220
 I 安息を結ぶ完全な帯である愛          P 220-222
 J キリストご自身が安息の門である   P 222-226
後書き                                        P 227-228



著者について
グレン・W・ユーイン
(1893~1979)
 1929年9月、神のしもべであるグレン・ユーインは、使徒行伝2章4節にある初代教会の証しのような聖霊の御業を体験したのです。こういう体験は、それまでに見たことも聞いたこともありませんでした。主がこの神聖な経験を与えられたことは、長老教会の長老としてのグレンにとっては実に全く新しいことだったのです。彼は突然一晩に、ひとつのヴィジョンと神のために多くの魂を獲得したいという強い願いが与えられました。1905年にテキサスには聖霊派の教会の働き人のグループは唯一つしかありませんでした。今日では殆どの町に少なくとも一つは聖霊派の教会が存在しています。他の計画やヴィジョンを持つ人々はこの設計図と青写真にない足場の上に教会を建て上げようとしているのです。
 グレン・ユーインが初めて聖霊派の教会の集会に出席したのは5歳の時でした。当時、長老教会の会員だったグレンの母親にオールド・メソジストのキャンプ・グラウンドに連れられて行った時でした。人々は年に一度、夏に10日間のキャンプに集まっていました。その後の数十年間、毎年テキサスのウエイコで「いやしの天幕」と呼ばれたこうしたキャンプ・グラウンドの中で、グレンは「新約教会の神の定め」が実際に息づくのを見てきたのでした。そのキャンプで彼は癒しと奇跡を目撃しました。その一つは、そのキャンプの創設者である叔父のバド・ロビンソンがスピードを出していた車にぶつけられ、医者から「いくつも骨折があり朝まで持たないだろう」と言われた時のことでした。その町の葬儀屋であったバドの友人がそれを聞いて慰めるため病院を訪れたのです。バドの家族に少しも出費がかからないように葬式の世話をすると話し出 しました。すると「誰の葬式ですか」とバドが問うので「あなたの葬式です」と言うと、バドは「死にそうなのは私ではありません」と答えたのです。神はバドを見捨てられませんでした。彼は生きようとし、そしてバドは果たして生き、主のためにそれからも長い間宣教の働きをしたのです。グレンは大人になってもバドの体験を決して忘れることはありませんでした。      
 1930年代アメリカの大恐慌が始まった頃、グレン・ユーインは全ての財産を失い、以前住んでいたウエイコに戻る決心をしました。職が全くと言っていいほどないことが判り4人の子供達と現金20ドルだけを持って、人生を一からやり直すために戻ったのでした。ロバート・ユーインはその家族の最年少の子供でした。グレンと妻は主が備えてくださる未だ見ていない職のためによく祈りました。ウエイコに着いてから、主はグレンにある食料品のチェーン店のオーナーのところへ行くように強く示されました。それまで、食料品店などで働いたことなどなかったのでしたが、グレンはオーナーを捜しその店の一つで仕事をさせてもらえないかと頼んだのです。幾つかの質問をした後で、そのオーナーは一週間以内に一つの店をオープンすると言いました。当時は商品の値段は販売棚に値札が貼ってあっただけで、現在のように商品一つ一つに印字されていませんでした。オーナーはグレンに「1週間店で働いてみて、全ての商品の値段をその間に覚えられたら店長にする」と言ったのです。家に戻っってから、主はグレンに一つ一つ商品の値段を教えられました。そして、彼は店長の地位に就きました。グレンはそのように、ただ主の導きにより頼んだのでした。
 グレンがオールド・メソジスト・キャンプ・グラウンドでかつて精力的に奉仕していた年配の何人かに出会ったのはその食料品店で働いていた時でした。彼らは「サンシャイン・ミッション」という町の中心街で伝道を始めていました。グレンは夜の伝道を手伝ってくれないかと誘われ、妻と一緒に3晩出かけることにしました。彼らは大きなドラムを持ち出して「パブリック・スクエアー」で短い野外礼拝をもちました。大きなドラムを叩き、群衆を集め、2曲ほど賛美し、祈りと短いメッセージの後、解散し、一人が一人を伝道していきました。
 やがて主は、グレンがDr.J.J.グライアーと礼拝を持つために戻るように導かれました。グライアーは長老派の老牧師で医療に見放されていましたが、その結核は見事に癒されたのです。グライアー師はヘブル13章8節の聖句「イエス・キリストは昨日も今日もいつまでも変わることがない」を示されました。彼が癒し主である神に全く依り頼み始めると、急激に回復しました。彼は長老教会に暫くとどまり、神の癒しのメッセージを始めました。多くの人が街からやって来ました。グライアーは人々に按手し信仰の祈りをし、主は人々を癒されたのです。しかし、その集会に対する反対が起きたのでグライアーは身を引き、ある古い校舎で集会を始めることにしました。これが「J.J.グライアー・ミッション」となり、後に「グライアー・メモリアル・チャーチ」の本拠地となり、その古い骨組みの建物が「グレイス・ゴスペル・チャーチ」の本拠地に引き継がれたのです。その都度新しい建物の企画もなされたのですが、主が「わたしの富はレンガにでなく、多くの魂に注ぎなさい」と言われたのでその古い建物は今も教会堂として使われているのです。
 グライアーは偉大な信仰の人で、決して献金を求めることはしませんでした。彼は教会の入り口の机の上に「主への献げもの」と書いた教会の形をした小さな献金箱を置きました。グライアー師の給料は日曜学校の献金だけでした。グレン・ユーインはグライアーから神への信仰を学んだのでした。それは「オールド・ホーリネス・メソジスト・キャンプ・グラウンド」にグレンが子どもの頃に置いてきたものを拾い上げるかのようでした。
 主がグライアーをみ元に召された後に、グレンは牧師の職へと押し出されました。教会員たちは年配の男女で構成されていて、彼らはグレン以上に教会での働きについてよく知っていることに気がつきました。そこで、グレンは使徒行伝2章4節の体験、すなわち主イエスが地上で宣教を開始する前に受けた「聖霊のバプテスマ」として知られている体験について説教をし始めたのです。会衆の様々な人々がこの素晴らしい体験をし始めたのですが、ある日曜の朝、長老教会から来ていた旧友たちは席を立ち、去って行ったのでした。グレンと家族はあたかも破滅と見える状況の中で、しかし密かな全きリバイバルの証人となっていくのです。夫婦と4人の子供達に3人の年配者が残っただけでした。
 殆どの信者が元の教会に戻って行き、僅かな群れしか残らなかったことは落担を与えたのですが、「オールドタイム・メソジスト・ホーリネス」の聖徒たちのヴィジョンはグレンから離れず、彼が全きヴィジョンを持つだけでなく、ヴィジョン自体がグレンを捉えていたのです。彼はやめることも戻っていくこともできませんでした。読者も決して悪魔に降参しないでください。
 主が神聖な預言の働きによってグレンたちを励まされたのはそれから少し後のことでした。一人の預言者によって、神が若い男性たちを訓練のために各方面から送り込まれてくると語られたのです。それから主は、彼らに教会の名前を「グライアー・メモリアル・チャーチ」から「グレイス・ゴスペル・チャーチ」に変え、啓示の祭壇をつくるようにと預言が与えられました。そこでグレンたちは「グレイス・ゴスペル・チャーチ」の前庭に一つの看板を作りました。先ず一番上に使徒パウロのように私たちの福音を表す「グレイス・ゴスペル」と書き、次にその下には「イエスは救う。イエスは癒す。イエスは聖霊と共に満たされる。イエスはすぐに来られる」と書きました。
 グレンは教会は礼拝の中で会衆を神のために訓練すべきだと考えたのですが、すぐに訓練は牧師である自分のためにこそあると知りました。グレンはこの初期の頃、何度となく教会堂の空いた席に向かって説教をしました。彼は以前は富を持っていましたが、訓練によって謙遜であり続けること、そして神が与えるビジョンを諦めないことを教えられたのです。そのようにしてグレンの中にある高慢を十字架に付けるため、神は彼を小さな教会の裏手に住むようにされました。それから、青年たちが来始め、訓練が始まり、主の働きが彼らと共に続けられていったのです。彼らの献金の仕方はグライアー牧師がかつて始めたのと同じでした。日曜日の礼拝毎の献金がグレンの一週間分の給料となりました。ある時には献金箱の中に僅か1ドルと5セントだけのこともありました。
   グレンは「テキサス・グレイス・カウンセラー」という名の教会新聞を刊行しました。30年間続きました。その間に並行して多くのトラクトが印刷されました。教会は1951年に年2回のホームカミング・カンファレンスを開始しました。数年後の1965年に主はグレンが子どもの頃参加していた「オールド・メソジスト・キャンプ・グラウンド」をこうしたホームカミング・カンファレンスの行事に使うために購入するように導かれました。キャンプ集会の食事や宿泊のすべてはいつも無料とされました。費用は毎回教会の予算を上回ったのですが自由献金がその全ての支払いに不十分であることは決してありませんでした。年2回のキャンプ集会はグレン亡き後もロバート・ユーインに引き継がれました。
 最大の試練の一つは、1953年5月11日ウエイコを襲った恐ろしい竜巻に関係します。118名が死亡し、5,500万ドルを超える財産が破壊されました。その時、神は3人の預言者を送りグレンたちに警告を与えました。その預言者の一人はロバート・ユーインでした。また、4人目の預言者が教会に対して3日間の断食と祈りを要請しました。神は彼らのうち誰一人怪我をすることも、持ち物が破壊されることもないと語られました。事実、竜巻は翌日教会の建物のそばまでやって来て辺りの木々を根こそぎ引き抜きましたが、建物には一つの傷痕も残しませんでした。周囲では幾名かの死者を出しましたが教会からは一名も出ませんでした。教会員の理髪師が竜巻が来ることを聞いた時セメントブロック作りの建物の片隅に立っていました。先ず屋根が飛び、それから床と同じ高さになるまでセメントブロックが飛んで行きました。その状況の中で彼は両手を高く挙げ、神を賛美しながら立っていたのでした。
 グレン・ユーインは1979年7月12日86歳で神のみ元に召されました。神が彼を通してなされた不思議の数々と多くの報告とは今も受け入れられ、「彼は死んだが今なお語る」ということを証言しています。二流の家に住み、二流の車に乗っていましたが、彼は数十万ドルを世界各地の働き人と宣教師たちに献げたのです。
 グレン・ユーインが語った神の福音と彼が生きた主の恵み、すなわち忍耐と素晴らしい奇跡、超自然的なしるしと神の力の不思議は、のちの使徒の成熟したミニストリーの見本となったのです。




ロバート・C・ユーイン
(1924~2001) 
 ロバート・ユーインは、1924年2月4日にテキサス州ウエイコの長老派の家系に生まれました。彼の父親はグレン・ユーインで神聖な定めと秩序の幻を神から受け、毎年ウエイコの古いメソジスト教会のキャンプ場で聖会を行っていたのです。彼はその後1929年の9月に聖霊のバプテスマを受けました。1943年、グレンは非常に小さな教会の牧師になったのですが時々空の信徒席に向かって説教をしていたのです。にも係わらず、彼は依然として神からの幻を持ち続け、聖霊のバプテスマと神の癒しについて説教し続けていました。ロバートが救いを受けたのは5歳の時で、聖霊に満たされたのは8歳でした。彼の年頃の子供たちは外で遊ぶ事が優先されていましたが、ロバートは多くの時間を 聖書物語を読んでいました。それ故、後には聖書そのものをよく読むようになったのです。
 幼い頃より青年期に至るまで、彼はどもりのために(どもりの人がそうであるような)多くの卑しめられた体験をしました。彼が18歳の時、神学大学の学部長が自習していた彼に強い口調でこう語りました。『もし、私が君なら説教者にはならないよ』と。するとロバートは、『ありがとうございます。私もどちらかというと説教者にはなれないと思います。しかし、人には不可能なことも神にはできるのです。神は道のないところにどんな進路も作る事ができます』と精一杯努力しても5分かかって答えたのです。
 多年に及び聖霊派の教会は使徒や預言者の職位を信じていませんでした。しかし、神はロバートにこの賜物が有効に働くことを明かされました。それで彼は2年以上に渡って、彼に神の恵みが与えられるまで祈りの中で求め続けました。すると時として驚くべきことが彼に起こりました。彼が預言する前は、どもって話せなかったのですが、聖霊なる神は彼に多く預言を与えられました。彼が預言を語り出すと素晴らしい安らぎと平穏が伴いどもることはなかったのです。
 主は彼に、神の働きの職位として使徒や預言者が教会の土台を据えることは今も変わらず必須であることを示されました。ロバートはこの真理を確かめるために誰か人を送ってくださるように神に願いました。このことは1946年に、聖公教会の司祭であり使徒職の働きに神に召されたアンダーソン・ジャルダンがグレン・ユーインの教会に訪れた時に確証されたのでした。神が使徒職を通してご自身の言葉を確認するために行なわれた多くのしるしの中で、聖霊がジャルダンを通して預言が語られました。『あなたの中に一人どもりの者がいる。彼にはなすべき働きがあるが、まず私は彼を癒さなければならない。もし、彼が前に進み出てひざまずき長老たちかに手を置いて祈ってもらうなら、私は今彼を癒す』と。ロバートは前に出て行き、その時以来全くどもらなくなりました。
 ジ ャルダン司祭は教会を建て上げるための神聖なる定めの幻を持っていました。彼の教えを介して、多くの変更がその地域教会で行われました。先ず、教会名はグレース・ゴスペル・チャーチ(恩寵福音教会)と変えられました。次に、イエスの救いと癒しと聖霊のバプテスマと再臨が説教され始めました。神はその地域教会を世界の多くの場所で新約教会の幻を広めるための模範・モデルとして用いました。その同じ年に、ロバートは預言者としての務めに預言を通して召されたのでした。神は彼に多くの予告的な預言をする道を通ることを許されました。それらの内幾つかは一見したところとても不可能な状況でしたが、預言が神から来る時には創造的な力を伴い、また必要があればその答えまでも作り出されていたのです。
 教会を通して神が送られた地域の人々と共に働いて数年ののち、主はアメリカ中西部の北、及びメキシコシティからカナダまでの地域での新しい使徒的ミニストリーへとロバートを召し出されました。それらの教会の幾つかは、献身者たちを育て世に送り出し、「ジュニア・アンテオケ」として神に仕えています。基礎的な働きのためには大きな叫びがまだまだあります。収穫には、神の家つまり、神の方法で建てられる地域教会が麦がだめになったり散らされてしまわないように嵐から守らなくてはならないのです。
 神が1947年から10年間に渡ってロバートに導かれた一つの働きは、子供たちと青年たちへの務めでした。ウエイコだけでなく、近隣から、彼らの宣教拠点の建物の街を超えて、数百名もの若者がキリストを受け入れたのです。そのことはロバートにとってより広い務めのための訓練となりました。
 1952年、聖霊がロバートに預言的な夢や幻そして数々の預言を与えられました。それは7年間で様々な教派の人々を訪れ、神のための残りの者を召し集めることでした。その人々を通して神は使徒的働きを生み出されました。ロバートは21の州とカナダに行き、教派のグループから他のグループへと乗り出し聖霊の大きな働きの証人となったのです。
  神はロバートに神の青写真にある教会をヨーロッパ中に建て上げるように重荷を与えられました。特に殆ど全ての元共産圏の国々にそのような美しい教会を育てようとされました。ロバートの使徒の務めは年々成長しました。同時に彼の命を脅かすような大きな対立と挑戦を何度も受けました。神はロバートに「グレイス・キャンプ・グラウンド」で新しい教会を始めるように導かれました。それを、さらに多くの州とまた世界各国、すなわちメキシコ、グァテマラ、カナダ、ギニア、スイス、オーストリア、ドイツ、フランス、スペイン、ハンガリー、ルーマニア、アイスランド、イスラエル、アルジェリア、ケニア、ロシア、ウクライナ、日本などへ広げ、いつも信仰と忍耐のうちに「神の新約教会のための神の定め」という勝利のメッセージを携えていくようにされたのです。
 ロバートの使徒の働きは、制限されることなくこれらの全ての国々を巡り、主・イエス・キリストの福音を伝え、「神の栄光の教会」を建て上げるための基礎的な務めを開拓していきました。それに加えることは神の言葉の啓示の務めでした。それは、グレンと共に始め続けられてきました。神の御言葉の真の意味を開き、初代教会がその土台とし、教義として持っていた真理を回復していくものでした。ロバートは真理の言葉を正しく分類する幾つかの鍵となる型を神から受け取ったのです。それはキリストの体の内にある境界線を打ち壊し、キリストの体が一つになるという神の願いに応えるものでした。それらの型等、ロバートは数百もの輪郭的な教えを書き留めました。それにより、使徒パウロが語ったキリストの計り知れない富を洞察することができるのです。
 話は少し戻りますが、主はグレンの務めの下で訓練されるために、あらゆる所からから多くの若 者を連れて来られ、多くの収穫をもたらすために宣教地に送り出されていきました。彼らは神の恩寵と新約教会の模範なる幻というメッセージを携えて行ったのです。グレンの下で訓練の務めを受けた人々のリストは非常に多いです。その中のほんの僅かな人々についてだけ触れることにします。フィリップ・スタンレーは20年以上日本に行き、それ以降は世界的な預言者になりました。レイ・ジーンのインドとパキスタンにおける宣教の働きは素晴らしく成功しました。ボビー・マルツはハイチとフィリピンで務めをしました。ウエイン・クロークはインドネシアと香港と台湾に行きました。アール・ケルンとダニエル・ブライマーはメキシコに行きました。22年間に渡ってこの地域教会はグレンとロバートの教えが公 開されたテキサス・グレース・カウンセラーという新聞を刊行しました。それは、教会に対する神の定めを明らかにするものでした。ロバートはグレンの見解を再考し、”新約の恵みカウンセラー”として記事や教えの刊行を再開しました。加えて、グレンの時代からの同じ古いメソジスト・ホーリネスのキャンプ場で年2回の聖会を始めました。その名前はグレース・ゴスペル・キャンプ場と変えました。グレン・ユーインは福音の説教をし恩寵の中で生活している模範的な成熟した使徒職として知られていました。彼が献身した人々を訓練し働き人として送り出すために持っていた忍耐と情熱に加えて、超自然的な神の力が彼の人生の中にあったからです。
 多年に渡ったその地域教会での共働の後で、神はロバートを米国とメキシコとカナダにおいて新しい働きを 起こすため使徒的な務めに召されました。それらの建て上げられた教会は初代教会時代のアンテオケ教会に見る雛形のように働き続けたのです。父グレン・ユーインから学んだように、宣教地に献身する人を育て上げ働き手として送り出しました。彼はいつも若者が収穫のために出ていける誠実な働き手になれるよう、またイエス・キリストにある神の完全な恩寵を証しするよう励ましていました。ロバートは決して彼の地域教会のために若者を取っておこうとしたことはありません。神は若者たちの祈りに答えられ、現在私たちは実際に見ている新約のタイプの教会が旧共産圏諸国を含むヨーロッパで建て上げられています。ベルリンの壁が崩壊する前、多年に渡りロバートは地下教会のキリスト信者達を訪問しました。聖書を届け、彼らに神にある歩みを教えたのです。ベルリンの壁が崩壊した後に、神は旧共産国以外にもヨーロッパ諸国や北アフリカにも扉を開け続けておられます。
 1996年に神は特別な方法で若者達に訪れロバートをして”キャンパス・フェロシップ”という刊行を導かれました。それは献身した若者に対する冊子です。その刊行は言わゆる”イエス革命”として知られている若者運動が始まる半年前に行われました。神はその刊行物を通して多くの大学生達の心を動かされました。この刊行は神の定めと7つの鍵の真理に関して神から与えられた多くの啓示を広めるための大切な方法でした。1979年、彼の父グレン・ユーインが神の元に召された後にロバートはキャンプ場での聖会を引き継ぎまし た。彼は多くの国々を旅行する傍ら、諸教会や牧師達のために務めをしました。彼の使徒的な務めは米国の多くの教会だけでなくカナダ、メキシコ、ヨーロッパでもアフリカ、アジアの諸教会でも認められました。
  2001年9月12日、ニューヨークのツインタワーが攻撃された翌日、主はロバート・ユーインをご自身の臨在の中に招き入れられました。その恐ろしい混乱の真っ只中に、ロバートは地上の家に住んでいたのと同じ調子で彼の天の家に帰って行きました。その魂は平安と安息の中で。彼は、いつも神の摂理に信頼し、しみやしわのない栄光の新約の教会であり、子羊の花嫁の一部であることを願い続けていました。彼の生涯はすべての道における見習うべき模範でした。彼はすべての事 柄に優先して神を愛しました。彼はまた人々を彼の魂を込めて愛しました。ロバートが多くの旅で出会った誰であろうとも、通りの子供や大人に偉大な情熱で主イエスを分かち合った彼のような魂を持っていた人物はいませんでした。彼は人々を愛し幾千もの方法でそれを示しました。彼にはどんな教派や文化の境界もなかったのです。
 この7つの鍵の真理は神の子供達に広く公開されて、見かけや矛盾に陥ることなく聖書を理解するためにロバートによって明らかにされた主要な模範からなっています。
「そこで兄弟たちよ。堅く立って、わたしたちの言葉や手紙で教えられた言伝えを、しっかりと守り続けなさい。」(Ⅱテモテ2章15節)
   実証済みの強固な土台によって教会を啓発するものです。
「ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。」(エペソ4章13節)
 私たちはあなた方がより多くを受け取りそれらを楽しむことができるように聖霊なる神が油注がれるように祈ります。誠実な心でそれを学んだ方々は世界中でその鍛錬を受けています。同時に、私たちはこれらの真理が他の所でそうであるように、あなた方の 信仰生活と諸教会にも継続的な霊的復興をもたらすように祈ります。どうか、私たちは継続していけますように。
 「それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります」(1テサロニケ4章17節)。
 ロバート・ユーインの父であるグレン・ユーインの名前によって書かれた幾つかの文章がこの巻の中に含まれています。他の文章はすべてロバート・ユーインによって記されました。
 著者が親子二人である故、その紹介で重複している部分がありますが、あえてそのまま載せました。




 スイスの神学校で教鞭を執っているカナダ・トロントのハワード・キャッツ牧師は次のようにロバート・ユーイン師を紹介しています。

 「たといあなたがたに、キリストにある養育係が一万人あろうとも、父は多くあるはずがありません」(第一コリント4章15節)。
 ロバート・ユーインは私にとって教師以上の存在でした。彼を用いて主は内なる生活を研ぎすまされました。
 私はロバートに出会う前に17年間キリスト信者として生きていました。私は主に使えたいと願っていました。他方で私はユダヤ人であり、ユダヤ教に基づく律法主義にしっかり根付いていて、その結果最初ロバートに会った時に非常な用心深さをもたらしました(恵みと律法主義は油と水のようなものです)。ロバートは私の中で霊的戦いが始まっている事を認めました。ロバートは次に会った時までのまる一年間継続して私の為に祈ってくれました。その事によって、かつて主がロバートに教えられた事柄を聴く備えを私の心に成し遂げてくださいました。数時間ロバートは律法主義について聖書を通して詳しく説明してくれました。神の恵みにより、私の心に照らし出された多年に渡って築き上げてきた律法主義をその偉大な掲 示によって、注意深く粉々に粉砕することができました。そして、最初の聖書研究は発展して1日に10時間が6日間に及びました。その6日の間中、最初から最後まで、神の臨在を非常に強く感じました。私が以前は決して理解できなかった神の言葉を通してです。私はその6日間綿密にノートを取ったのですが、ロバートユーインは決して自分のノートを参照する必要はなく聖書から直接教えてくれました。それが私とロバートユーインとの関係の始まりでした。それからの8年間以上、私が彼をテキサスに訪問したり、彼が私をカナダに訪ねてくれたり、ロバートの何度かのヨーロッパ旅行に随伴したりしながら私のキリストにある歩みは一段と深くなっていきました。
 私にとって大きな衝撃だったのは、彼の教えがその一貫した主への献身として彼の全ての生活の中で実践されていたことでした。私は今までそれ程までにキリストに完全な献身的な人物に会った事がありません。神はロバートを用いて私の魂を研ぎ澄まされました。彼は実に使徒的な油注ぎと霊の父になる方法を持っていたのです。
          
                       ハワード・キャッツ
                       オープン・ドア・チャーチ
                       カナダ・オンタリオ・ロンドン



 7つの鍵の真理は神の言葉から横道にそらすものではなく、むしろその代わりに7つの聖書の重要な真理へと導くものです。その真理を適用することにより、私たちの教会や信徒のクリスチャン生活は祝福されました。それらの教えは、私たちが聖書を開き個人的な問題の良い解決を見つけるための助けと理解になり、素晴らしい経験をもたらしたのです。

                           ダニエル・モゼール
                           ベルン新約教会
                           スイス・ベルン




 
 私は1971年にロバート・ユーインに会う特権を得ました。そして、恵み深い神は彼と大変親しい関係を持つことを許されました。彼の生涯の最後の5年間、毎日のように私たちは並んで聖書を学びました。私は実にロバートの人に対する真実で犠牲的な愛が謙遜と従順といった点で見習うべきものであることを証言できます。これは私の個人的な意見ですが、このことの故に神はロバートに世界中に多くのドアを開かれたのだと思います。神は彼に神の言葉の深い意味を現実に理解するという豊かな恵みを与えられました。彼は多年に渡ってキリストの体が与えられていた教えの内、聖霊なる神から現実的・実際的な啓示を受けたのです。常に真理を追い求めていましたが、当然すべての理解が得られたわけではありませんでしたが、解釈の問題についての助けとなる鍵が与えられたのです。私は、7つの鍵の真理が、すべての先入観から離れて、継続的に開かれた私たちの霊的理解のために、神の言葉を正確に区別して学ぶ事ができるように、誠実な心で試されて受け取られていった事を本当に信じています。

                         エリエゼル・メンドーサ
                                   神の小羊教会
                         テキサス州ダラス




 私のキリスト信者になってからの始めの数年間、自分の救いについての確信のなさとそれは大変な苦闘をしていました。それはあたかも悪魔が確かな御言葉に対して疑念を生じさせたかのようにみえました。後にグレン・ユーインとロバート・ユーインはその事について考えを話してくれました。神は私を助け、聖書にある難しい部分を分かるようにしてくれました。その殆どは例外なく聖化についてであり、義認についてではありませんでした。それが現実となった時、私は自由になりました。私は以来ずっとその苦闘から解放されています。ロバートが意味じくも言った通りです。「義認と聖化は列車がその上を走る2本のレールのようなものです。あなたが両方を得たのでそこに安息があります」と。 私は全く同感です。

                        リチャード・タイソン
                        バージニア州ハンプトン





「7つの鍵」を中心に旧約と新約の全体の真理を霊的に解説しています。首尾一貫している解釈です。そう推薦を下さったのはルーマニアオーストリアハンガリーイタリアギリシャクレタ島ケニアインドフィリピン大韓民国米国宣教活動をなされた、高知ペンテコステ教会主任牧師の大川修平先生です。(京都大学及び同大学院修士課程英米文学科卒業。フルゴスペル神学大学院及びアジア教会成長神学院の教授及び講師を歴任、著書に『ペンテコステ神学』『聖書的リーダーシップと日本文化』『ユダヤ教の教え』『聖書解釈の原理』、訳書に『真理の解明』『旧約聖書の教え』『新約聖書の教え』がある)



 この刊行の働きはGrace New Testament Ministries Foundation, の所有とするものです。その使命は、新約の模範により、教会の回復を見るために意欲を持っていたロバート·ユーインの教えや著書等の刊行と配布が含まれています。この著書の販売により得られたすべての印税は、著者の持っていた使命を果たすために使われます。すべての聖書の引用は時に明示されない限り、欽定訳(KingJamesVersion)からなされます。使用許諾については、内容が記載されているタイトルと著者名が変えられてない限り、教団の事前の許可なしに簡単に引用できます。あるいは、この著書の一部の再現が認められます。他の言語で、この著書を出版するための権利は、Grace New Testament Ministries Foundationと契約する必要があります。
第2版:2000年 第3版:2006年
Copies printed:1000 ISBN 968-7756-18-7 
Ediciones Ariel ® Francisco G. Sada 2400 Col. María Luisa Monterrey, NL 64040 México 
www.edicionesariel.com 
Impreso en México Printed in Mexico


 日本における刊行は”ミッション・あどない・いるえ”がTestament Ministries Foundationから権限を得て翻訳・印刷・出版を行っています。邦訳に於いてはできるだけ活字を大きくし、聖書の引照は本文も掲げました。訳は特段の記載なき時は共同訳聖書と口語訳聖書を用いました。



翻訳者と著者ロバートの関わり
 私の教会にロバートは何回も来てくれました。その謙虚な仕える姿こそ真の使徒職と確信したのです。彼が主にあって分かち合ってくれた教えは深く多いのですが少しずつ自分のものとし、更に神の子供たちに分けていきたいものです。彼の生き方と共に。
 彼は一度も自分は使徒だと言ったことはありません。最初、私が彼の家に行くと聖書大学の多くの学生が集まっていました。ロバートは彼らに食事を与え聖書を分かち合っていました。それから初めて会って何も知らないはずの私に神の恵みをその学生達に分かち合ってくれと言うのです。私は当時本当にBaby Englishで自分でも何を言っているか判らなくなってしまうような状態でしたが、彼は私に任せて自室に行ってしまいました。駆け出しの牧師であった私を立て上げる事をその時からして貰った事を忘れる事ができません。
 彼は我が家に何度も泊まってくれました。5月のまだ肌寒い朝、私も妻もがボイラーのスイッチを入れ忘れていたので彼は水のシャワーを使いました。にもかかわらず、私達に一切責める事をせず愚痴も言わず、気持ちよいシャワーだったと言うのです。ここに彼の使徒としての偉大さを見たのです。食事の間、聖書の質問をしない限り彼は普通のミルクとピーナッツ・バターの大好きなテキサスのおじさんです。ところが、一言でも聖書の質問をするや否や、彼はナイフとフォークを使うのを止め、瞬時に聖書の世界に入り立て板に水のように1時間でも2時間でも語り出します。私の神学校の友人達と千葉での集会に行く車の中での事です。走り出してすぐ友人の一人がロバートに質問しました。するとその答えが3時間も続き、到着するまで聖書の真理を語り続けたのです。
 メキシコの彼の弟子の教会では礼拝の後、奇跡の賜物を持っている長老や癒しの賜物を持っている長老等が前に立ち、人々は必要と願いに応じてその長老の所に行ってミニストリーを受けていました。その教会では今までに7人の人が生き返り、その内の一人に私も会いました。 今まで「自分は使徒」という教職者に何人も会いました。預言を語ったり、大きな教会の牧師であったりはしたでしょうが、ロバートのような品性を備え、使徒の教えを持ち、しるしと不思議が伴うミニストリーを行っている神の人を見た事がありません。

  
ロバートとその使徒職チーム
 マルコーシュ・パブリケーションから出版されたピーター・ワグナー著「使徒的教会の到来」の73項にロバート・ユーインを中心としたグレイス長老会の記事が載っています。今日は教会の中にもサタンのもたらす混乱と惑わしに翻弄されるような時代です。今一度、ウエイコ・リバイバルでロバートが主から与えられた教えと真理を再度深く見直すべき時だと思う次第です。
 ロバートは自ら預言者達と共にチームとして彼がカバーしている教会や教役者のところに行き、長老などを選んだり分裂などの問題があると話を聞き、共に祈り、み言葉から助言し、預言をし、それは誠実に務めをしていました。彼の後継者も同じように行っています。
 ロバートの教えは非常に多く、まだ日本語に翻訳されていないものもあります。ロバート亡き後、彼の後継チームはロバート・ユーイン師の教えを日本のクリスチャンと教会リーダー、教職者の方々に紹介する恵みの特権をミッション・あどない・いるえが頂きました。翻訳をしながらではありますが徐々に皆様にご紹介して参ります。

                      ミッションあどない・いるえ

                      代表伝道者 ピーター 藤 正信


今回の初版は500冊限定でキリスト教書店には出さないで、直接販売を行います。

問い合わせや注文の申し込みは下記までお願いします。
ミッションあどない・いるえ
MissionJehovahJireh@yahoo.co.jp
携帯080ー6562ー1427

2016年3月15日火曜日

東京電力の広瀬社長は社員に向けて訓示し「福島の責任をこれからもしっかり果たしていくことが原点だ」と語った▼東電は福島第一原発の廃炉費用として1兆円を引き当て、将来更に1兆円必要になると見込む。既に個人や法人に支払った賠償金は約6兆円に上るが、今後7兆円以上に膨らむ見通しだ▼一度原発事故が起きると巨額な出費があると見聞きしながらも、日本の電力会社がこぞって一基4000~5000億円(火力発電所の3倍) もする原発をなぜ作るのか。理由はいくら高額な投資 になってもその全てかかった分だけ電気料金に上乗せできるからだ。しかも毎年国から5000億円もの補助金が出る。日本の電気料金は世界一高いと言われている。原発を作るれば作るほど電力会社は儲かる仕組みになっている▼確かに多くの原発を作れば関係者は大いに富を得るだろうが、予想されている巨大地震で大きな原発事故になり家族や本人や顧客達が被曝したり死んでしまったら元も子もないのではあるまいか。「人が全世界をもうけても、自分自身を失いまたは損したら、なんの得になろうか」(ルカによる福音書9:25)
孫娘の唯祝(いのり)1歳8ヶ月が退院した▼1週間の予定だったが、皆様のお祈りと神の助けにより3日早くなった。母親も体調回復した▼病院食もいつも完食し、親もその出される食事から今後の食事作りのヒントを多く得た。看護婦さんの扱いや同室内の他の泣く子や様々な音の中で鍛えられたくましくなってきたと母親が言う▼こんな幼児でも全てを益にしてくださる神は、なおのこと私達が出会う全ての困難をも成長に変えてくださるに違いない▼「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」(詩篇 119:71)
4にまつわる神の恵み

4は日本では死に繋がると忌み嫌われる数字であるが、聖書の世界では神の恵みの十全性を表す▼神の恵みはイエス・キリストを賜った事に表されている。あなたと私に対する神の愛は、全てを受け入れ、全てを信じ、全てを期待し、全てを我慢してくださる神の愛アガペの四つの本質に現れている(第一コリント13章7節)▼モーセの幕屋の入り口に青銅の祭壇は正方形であったが、それは神の罪過に対する裁きをキリストに負わされた事を示していてキリストを通してでなければ誰も神の元に近ずけない事を物語っている▼旧約聖書は律法・歴史書・預言書・詩書に、新訳聖書は福音書・歴史書・書簡・預言書に分けられる▼エゼキエル書の4つの顔の霊的な生き物が出てくる。それは獅子の顔・鷲の顔・人の顔・牛の顔である。それはイエス・キリストを示し、獅子は王を、鷲は勝利者を、牛は罪過のために屠られる生贄を、人は人となられた神の子であることを表している。新約聖書のマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの四つの福音書の記者はそのようにイエス・キリストを描いている▼人類の歴史は族長時代・律法時代・恵みの時代・千年王国の四つあるが、今は恵みの時代で神はあなたと私が神の恵みを溢れるばかり受けて他の人々に流していくよう願っておられるのである。
テナーサックスの音

サックスは音が命だ▼世界一流のテナーサックス・プレイヤーがこぞって欲しがる楽器は1954年に発売されたアメリカン・セルマー・マーク6のシリアル番号が80000代で程度の良い楽器は2,000,000円もする▼私の楽器は殆どがSecand Handsだがそれぞれ個性的な音がする。CONNは87年前の楽器で吹き抜かれほぼ全てのメッキが無くなっているが最も気に入っている。シルバーソニックのKINGは明るく、CanonBallは力強く、CONNは野太く、エルクハート・モデル6はセルマーように華やかだ▼エルクハートモデル6はアメリカンセルマーマーク6の5桁に匹敵する楽器で日本の大井上氏が台湾にいるかつてのセルマーの職人に作らせた楽器に特殊調整を加えて開発した傑作で音源を聞き比べても区別がつかない程いい音色だ▼サックスの音はマウスピースによってもリードによっても音が異なる。Playerは曲想により楽器を替え、マウスピースを替え、リードも替え、聴衆を感動させ、泣かせ、楽しませる▼まして、神はご自身の心や願いを私たちに伝えるために、様々な個性豊かな神のしもべ達をお用いになるに違いない。
アーモンドの花

モーセの幕屋の聖所にある純金の燭台はアーモンドの花の模様や蕾や萼が打物で作られていた▼アーモンドは見張るという意味がある。年若い預言者エレミヤが神に召し出された時神はアーモンドの枝を見せられて神が見るものを彼が見ることを求められた。「主の言葉がまたわたしに臨んで言う、『エレミヤよ、あなたは何を見るか』。わたしは答えた、『あめんどうの枝を見ます』。主はわたしに言われた、『あなたの見たとおりだ。わたしは自分の言葉を行おうとして見張っているのだ。』」(エレミヤ書 1:11-12節)▼キリストが見るように見るとき、キリストが聞くように聞き、キリストが語るように語り、キリストが行うように行うことができるのである。