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ピーター藤・和子

2011年9月15日木曜日

神の十二の御住まいその5ーモーセの幕屋に見る教会の存在目的

「彼らが私の為に聖所を造るなら、わたしは彼らの中に住む」(


出エジプト記25章8節)。「わたしが示す作り方に正しく従って

、幕屋とそのすべての祭具を作りなさい」(同9節)。
出エジプト記27章、30章、36章〜40章に主の民は主が示された詳細な型の通りに幕屋を造った事が書かれている。

 幕屋は、
いけにえがほふられその血が祭壇の角に塗られて罪が購われる場で


あり、朝に夕に香がたかれた(出エジプト記30章7、8節)

ので祈りを捧げる場であり、
絶えず供えられていた活けるパンである神の言葉を食する場所であり、感謝の捧げものをする場所であり、絶やす事なく7つの燭台の灯がともされていた(レビ記24章4節)から神の霊に照らされる場所であり、神に近づく場所である。幕屋の詳細はキリストを指している。キリストは御自身がいけにえとしてほふられその血が天にある真の至聖所に携えられて完全な罪の購いをなされた。キリストこそ命のパンであり、キリストを通してでなければ誰も御父の元に行く事ができない。

 教会の存在目的はイエス・キリストが中心となる事である。
キリストの言葉によっていかされ、


教会の頭であるキリストの霊に導かれ、

キリストを求めて祈りが捧げられ、感謝と賛美が捧げられ、
罪からの購いである救いがキリストを受け入れるなら与えられる場所である。

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