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ピーター藤・和子

2011年9月15日木曜日

神の十二の御住まいその4ーモーセが主と会見した天幕に見る教会の存在目的

 モーセは一つの天幕を宿営の外の、宿営から遠く離れた所に張り、それを臨在の幕屋と名付けました(出エジプト記33章7節)。  
 イスラエル人で誰でも問題があり主に解決を求めようとする人はその幕屋に行きました(出エジプト記33章7節)。その幕屋で主は人がその友と語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られました(出エジプト記33章11節)。
 クリスチャンは伝道や証といった活動をするだけでなく、自分の営みから離れて神に祈りあるいは取りなすことが非常に大切です。そのための重要な場所は教会です。ロサンゼルスのバンナイスにあるチャーチオンザウエィでは祈りのチャペルがありいつでも信徒がどれだけでも祈れるようになっています。かつてそのチャペルに神の臨在の雲が現れたと言われています。日本や韓国では教会にプレイヤーチャペルや祈りの家がない場合に教団や超教派の祈祷院がありそこで断食や聖会で祈ることもできます。しかし、先ず教会こそが祈りの家であるべきなのです(イザヤ56章7節、マタイによる福音書 21章 13節、マルコによる福音書 11章 17節、ルカによる福音書 19章 46節9)。祈りのない教会はありえません。祈り取りなす教会こそ前進するのです。祈りの家である事が教会の4番目の存在目的です。
 クリスチャンであるなら誰でも、モーセのように主と顔と顔を合わせるような親しく深い祈りができるようになる事を目標としたいものです。

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