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ピーター藤・和子

2011年9月16日金曜日

挨拶

 始発電車で東京に向う時駅員に挨拶すると必ず挨拶が返ってくる。東京から帰る時路地などで会う人に挨拶しても無言のままで挨拶が返らない事が多い。ところが、私の顔を見るなり「おはようございます」と声をかけてくれる人もいる。


  挨拶して挨拶が返って来たらまた挨拶してあげようと思い、挨拶が返って来ない人にはもう挨拶はしないでおこうと思うものである。また、自分から声をかけるよりかけてもらう方が気持ちよいものである。

  キリストはその生涯の中で出会った人にご自分から声をかけてくださったのである。ユダヤ人を恐れていた弟子達には「やすかれ」、イエスのしかばねを探していたマグダラのマリヤに「女よなぜ泣いているのか」、暑い昼間人目を避けて水を汲みに来たサマリヤの女には「水を飲ませてください」、取税所の前で座っていたマタイには「私に従って来なさい」と。

  今日神が出合わせてくださる一人一人に、主イエスの心を持って一言声をかけてあげようではないか。さすれば「よくやった、忠実な僕よ」と内住の聖霊なる神が声をかけてくださるに違いない。

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