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ピーター藤・和子

2011年11月4日金曜日

安息の真理その2 魂が安息に入る7つの道

 安息は我々が神の御心の中にいる証拠である。すべての神の御業は安息から始まるのである。クリスチャンが安息から外れてしまう7つの領域がある。各々につき神は解決の道を用意しておられる。神の言葉について黙想し、思いが主の御言葉に従うように鍛錬するなら神の安息に入れるのである。 


1:神の御言葉への信頼・信仰を通し魂は安息に入る。イスラエルはカナンの安息に入れなかった。神を制限し繰り返して神を試み、イスラエルの聖なる方の心をを痛めた。彼らは神を5感の小箱に押し込もうとした。神の言葉への信頼を通し神の民を神の御座のある大部屋へ引き上げることを神は待っておられた。  


 安息に入る一つの方法は御言葉を信じることである。これに対するものは不信仰である。多くの信仰者は安息に至る秘訣を求めているが、悲しいかな彼らは一生涯神がその民に計画された安息に入れない。不信仰の故だ(へブル3:19)。神の民が恐れや不安に捕らわれ勝利を得られないのも不信仰故である。


2:自我(肉)の努力・思い煩いをやめることによって魂は安息に入る。問題に執着し苦労し心配するのを止めないと、神の民はその人生で安息を妨げてしまう。神を手伝おうなどと自己努力の柱を手放さないでいる人は安息というもう一つの柱を掴むことはできない。両者はかけ離れたものだからである。   


 ヨブは神が自分を祝福する基礎としての彼の義(良い行い)をしっかり掴もうとしていた。死にそうになり、死を心に描く所にまで行かされ、最後には全て恵みによるのだと気づいたとき安息を得た。人は心配を通して問題を抱え込む。思い患いを一切神に委ねるなら主が心配される。神は問題を持っていない。


 状況を見、叫んでいる時主は働けない。否定的なことを語る口を閉ざなければ主が働けない(出エジプト14:13、14)。神のわざ、奇跡を見ないのは思い煩うからである。アダムが助け手を見つけていた時には見つからず、寝ていた時に神が造ってくださった(創世記2:20ー22)。  


3:御霊にある生活を通し魂は安息に入る。聖霊の中での生活は安息にいる秘訣である。「荒野の中を行く馬のように、つまずくことなく彼らに深みの底を歩ませた方は、どこにおられるのか。家畜が谷に下るように、主の御霊が 彼らをいこわせた」(イザヤ63章)。


 イスラエルの民は主の御霊が与えようとされた安息を受け取らなかった。安息を学ぶのは非常に困難な場所である。机の上で学ぶ論理ではない。荒れ野で与えられる真理である。安息の真理を理解し始めるとテストがある。試練の中で本物の安息を学ばせられる。荒れ野にいても主の御霊はそこにおら れた。


 霊の祈り(異言の祈り)は魂を安息させる(イザヤ28:11~12)。知性・感情・意志は安息に入る。霊の祈りは神に直結する。知性の祈りは肉に属する。それは簡単にサタンに妨げられる。霊の祈りにサタンは介入することができない。


4:キリストの御体との調和を通して魂は安息に入る。キリストのからだとして日々互いに励ましあうことによって与えられる安息である。神が起こす器の協力によって神の業がなされる。アマレクとの戦いの時モーセは神に手を挙げていたが疲れた。そこでアロンとフルが両手を支え勝利が与えられた。 


5:主の僕たちへの服従・従順を通して魂は安息に入る。霊的な権威に対する服従である。最初はキリストの指導力への服従、その延長である主の務めをなす者への服従である。どこに緑の草があるのか知っている良き牧者に羊が従うとき、安息が待っていることは言うまでもないことである。 


 服従がないと戦いがある。服従を止めるとカバーの傘がないので雨がもろに当たる。神が与えられている傘がある。親が子にさす傘、家長の主人が家族にさす傘、牧師が信徒にさす傘(更に使徒職チームが教会のリーダー達にさす傘)でその傘の下に留まる時守られる。傘から出ると守りがなくなる。イスラエルはモーセに従わなかったので安息がなかった。


6:成長する事を通して魂は安息に入る。神の御言葉を学ぶことにより成長し安息を得る。「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます」(マタイ11:29)。 


7:主の臨在を覚える・認めることを通して魂に安息がもたらされる。元気を出しなさい。私だ。恐れることはないと嵐のただ中でキリストは言われた。船 は転覆しそうであり、彼らは主を幽霊だと思ったが嵐は止んで安息が来た。


 弟子達は主がおられたのに恐れがあった。主の臨在の中にいなかったからだ。ダニエルもシャデラク・メシャク・アベデネゴも主の臨在の中にいたので火の炉や 獅子の穴に入るのを恐れなかった(ダニエル3章、6章)。パウロとシラスは牢獄の中で主の臨在の中にあったので恐れがなかった(使徒16章)。


 魂を安息に入らせない7つのもの。1:不信仰であり、2:思い煩いであり、3:フラストレーションであり、4:人間関係の不和や不一致であり、5:プライド・高慢・反逆であり、6:未熟さであり、7:恐れである。それらを御霊に示されたら悔い改め主に全く信頼していくとき魂に安息が来るのである。

ミッション・あどない・いるえ
代表伝道者 ピーター藤 正信
栃木県栃木市倭町11-16 〒328-0037
ブログ http://missionjehovehjireh.blogspot.com/

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