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ピーター藤・和子

2011年11月30日水曜日

永遠の救いの真理 その2 大祭司が贖いの日に果たした役割

大祭司は先ず生け贄をほふり、その血を祭壇の内側に持って入り贖いの蓋に振りかける為に至聖所に入った。キリストの霊は息途絶えた瞬間にご自分の血を持って天の至聖所に携えられて全ての民の贖いを関係されたのである「キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう」(ヘブル9:14)。これはレビ記16章15〜19節の預言の実現である。

大祭司としての主の2番目の務めはご自分の魂を我々の全ての罪と咎、永遠の裁きを負わせてハデスに追いやられたことであった。キリストの霊が大祭司として葬られていた3日間、黄泉のパラダイス(ルカ23:43)に行きそこにいた御名を呼び求めて死んだ魂を神の身元に導かれたのである「その霊においてキリストは捕われの霊たちのところに行ってみことばを宣べられたのです。昔ノアの時代に、箱船が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに、、従わなかった霊たちのことです(1ペテロ3:18〜20)。
民数記35:25〜28には「共同体は、人を殺してしまった者を血の復讐をする者の手から救い出し、共同体が、彼の逃げ込んだ逃れの町に彼を帰さなければならない。彼は聖なる油を注がれた大祭司が死ぬまで、そこにとどまらねばならない。大祭司が死んだ後はじめて、人を殺した者は自分の所有地に帰ることができる」とされ、逃れの町について述べている。黄泉のパラダイスにいた魂は逃れの町に逃げた人々のようであった。罪人だが神を仰いだ人たちであった。その逃れの町から出ることができるのは大祭司が死んだときであった。その罪の贖いが完成したということを3日間伝えに黄泉のパラダイスに行かれたのであった。主が低いところ(黄泉のパラダイス)に下られ、そこにいた人々があたかも捕虜のように天に携え上げられて行った「「高い所に昇るとき、捕らわれ人を連れて行き、/人々に賜物を分け与えられた」と言われています。「昇った」というのですから、低い所、地上に降りておられたのではないでしょうか」(エペソ4:8〜9)。黄泉のパラダイス(慰めの場所・楽園)は大祭司の死を待つ所であったが最早誰もいなくなったのである。もう誰も黄泉のパラダイスに行く必要はない。福音を聞いて救われなかったが神の御名を呼んだ人々の魂(ノアの時代の人々のように悔い改めの実を結ぶことはなくても)が皆黄泉のパラダイスにいた。「主の御名を呼び求める者はすべて救われる」という御言葉の通り主は哀れみ深いお方である。キリストの霊がハデスで死を味わっているキリストの魂を救う為に駆けつけそれが一つになり、やがて死と黄泉の軍勢に襲いかかって滅ぼし(詩編18)、死と黄泉の鍵を奪い取られその力を打ち破られた「わたしは最初の者にして最後の者、また生きている者である。一度は死んだが、見よ、世々限りなく生きて、死と陰府の鍵を持っている」(黙示録1:17、18)。


 「ところで、この人たちはすべて、その信仰のゆえに神に認められながらも、約束されたものを手に入れませんでした。神は、わたしたちのために、更にまさったものを計画してくださったので、わたしたちを除いては、彼らは完全な状態に達しなかったのです」(ヘブル11:39、40)。エノクやエリヤも空中に挙げられたが、キリストの贖いが完成していなかったので天に行くことはできなかった。旧約の聖徒は誰一人天に昇った者はいない。天は真の至聖所であるからそこに道が開かれない限り誰もそこに行くことはできなかったのである。エリヤやエノクが挙げられたのは掲挙の雛形であった。そしてその聖徒達全ては黄泉のパラダイスに行ったのである(マタイ11:9〜12)。これは信仰義認のことを言っているのである。エノクは死を通らないで黄泉のパラダイスに移されたということである。1コリント3:10、11の「わたしは、神からいただいた恵みによって、熟練した建築家のように土台を据えました。そして、他の人がその上に家を建てています。ただ、おのおの、どのように建てるかに注意すべきです。イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません」は土台は神の恵みにより与えられるが、建物は魂のレベルで自分で決めることである。その評価はやがてなされる。


 「一度光に照らされ、天からの賜物を味わい、聖霊にあずかるようになり、神のすばらしい言葉と来るべき世の力とを体験しながら、その後に堕落した者の場合には、再び悔い改めに立ち帰らせることはできません。神の子を自分の手で改めて十字架につけ、侮辱する者だからです。土地は、度々その上に降る雨を吸い込んで、耕す人々に役立つ農作物をもたらすなら、神の祝福を受けます。しかし、茨やあざみを生えさせると、役に立たなくなり、やがて呪われ、ついには焼かれてしまいます」(ヘブル6:4〜8)は成長や聖化がテーマとされているのであって救いについて述べられているのではない。雑草が焼かれるのであって土地まで失うのではない。神の御心に従って有用でない者、実を結ぶことがないなら報いを失うと言うことである。「しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです」(1ペテロ2:9)によれば天国には王達もいるし(黙示録22:5)、ただの市民もいる。キリストの花嫁となる人もいる。天のあるエルサレムに主に会いに来る者もいる。


ミッション・あどない・いるえ
代表伝道者 ピーター藤 正信
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