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ピーター藤・和子

2011年11月14日月曜日

陶器師と陶器 その7 炉に入れる

粘土が陶器になる最後の工程は炉に入れられる窯焼きである。それは<神の栄光との関係>を取り扱われ<信仰のテスト>がある(ダニエル3章)。粘土の性質として粘性と可塑性を見たが、今は耐火性を見てみよう。焼かれると固まり変化しない性質をいう。


・<信仰のテスト>は艱難のテストでもある(第一ペテロ1:7)。1200度以上になると釉薬が溶け生地と一体になる。焼き締めの器は炎と灰と熱と光で模様と色が着く。炎と生地の出会い方で模様も発色も決まる故、焼き上がりの表情を左右する生地の火に対する方向を考えて陶器師は窯に作品を入れる。


・地上の殆どの物質は高温で焼けば燃えたり溶けたり歪んだりするが、粘土は炎をくぐり抜けると、役立つもの、美しいもの、変質しないものへと変えられていく。硫酸を入れる瓶も陶器である。陶器師は夫々の粘土の耐火度を知っているから粘土が耐えられない温度で焼く事はしない(1コリント10:13)。
粘土は見事に成形されても生地のままではもろい存在でだ。少しの衝撃でも壊れやすく水に落とされれば溶けるが、窯に移され焼き上げられると固く焼き締まり、水を貯えたり、料理を盛る事のできる丈夫で役に立つ朽ちない存在となる。生地が火を通し完成されるように基督者も火を通され神の器になるのだ。
 
 焼く温度と陶器:焼締めは窯に詰めたら3〜10日間土質にあった温度や焼き方で焼き続ける。備前焼は低めの1230度で焼き続けると押さえられた渋い味わいとなるが、高温で焼くとへたったり光ったりするものとなる。信楽土は高温千三百度で焼かないと焼き締まらずしらっとした見られないものになる。


 聖書の時代の陶器は土器(釉薬をかけず、素焼きと同じ位の低火度で焼かれた器)だった。それは値打ちのないもの、(哀歌4:2)、形を戻せないほど粉々に砕けるもろいもの(詩編2:9イザヤ30:14エレミヤ19:11)、汚れが染み込み易いもの(レビ6:28)である。まさに人の性質を表す。


・聖書時代の器は六百〜八百度で焼かれた素焼き程度の土器だ。現代の焼物は千二百〜千三百度で焼く。聖書では素焼きまでしか書かれていないが粘土は本焼を経る事で本焼の陶器となる可能性を秘めている。粘土は神が用意されたものであるから。旧約では土器の評価が低いがパウロ書簡では高くされている。


 窯から出された陶器は灰等が固まり尖ったり膨れ上がった部分がある。陶器師はそれを土器のかけらなどで削り取り滑らかにするが最後は自分の手で磨く。真の陶器師である神ご自身がその御手で信仰の試練を通った私達を輝かしてくださる事を思うと感無量である。


 粘土が陶器になるに要する期間:備前焼では稲田の下から粘土が掘り出されてろくろでの成形までに4年、その後窯入れまで3〜6ヶ月、窯詰めに1週間、窯焚きに12日間、窯が冷めるまで1週間かかる。私達も全能の陶器師の御手に委ね、生涯をかけて尊い器に作り上げていただこうではないか。


ミッション・あどない・いるえ
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