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ピーター藤・和子

2011年12月3日土曜日

永遠の救いの真理 その3 霊と魂の区別

黙示録9:11には「いなごは、底なしの淵の使いを王としていただいている。その名は、ヘブライ語でアバドンといい、ギリシア語の名はアポリオンという」とあるがその意味はサタンの名前の一つで破壊である。


 サタンは神が造られたものを破壊する。エデンの園で神がご自身の形に創造された人の神の形と姿を破壊した。人の中に死と滅びが入り、霊・魂・体は一体だったが破壊され別々の運命を持つ存在となった。生きているときは一体性を持っている。霊と魂の隔ての幕が下りていないかが信者と不信者の違いである。信者は生きているときから霊と魂はキリストにおいて一体になれる。アダムは善悪を知る木の実を食べたその時に死ぬと言われた。霊的に神との関係においてであった。そして900年後にアダムの体は死んだ。ノアの洪水の後には120年の齢とされた。体は80年、120年で死ぬが、魂は永遠に天国か地獄で存在し続けるのだ。霊は不滅である「だれが知るか、人の子らの霊は上にのぼり、獣の霊は地にくだるかを」(伝道者の書3:21)、「塵は元の大地に帰り、霊は与え主である神に帰る」(伝道者の書12:7)、「主は言われた。『わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから。』こうして、人の一生は百二十年となった」(創世記6:3)人は死ぬまではその霊は生きていると言われるが霊が取り去られると死ぬ(ヨブ記34:14,15)。体に命を与えているのが霊である。しかし、不信者は霊的に死んでいる。聖所と至聖所に隔ての幕があったように隔ての壁がある。神が占有を予約されている部屋が霊である。人は何をしても空しいと言うことはその証拠である。




 霊魂という表現があるが、聖書は明確に霊と魂を分けている。霊が滅びるという記述はない。「しかし神はわたしの魂を滅亡から救い出された。わたしは命を得て光を仰ぐ」(ヨブ記33:28)、イザヤ書  38章 17節も魂の滅びについて述べている。「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい」(マタイ10:28)は体と魂が滅びるのである事を語っている(不信者の場合)。


 肉体に5感(嗅覚、視覚、触覚、味覚、聴覚)があるように、魂にも5感がある。それは記憶、良心、想像力、理性、愛情である。不信者はそれらの5感を持ったまま黄泉に行くのである。しかし神にある新しい魂を持って霊と共に天国に行くのがキリスト信者である。魂も土から創られた。鼻から息を吹き込まれたのは人だけである。魂は体に属する存在である。


 天のパラダイスは「耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者には、神の楽園にある命の木の実を食べさせよう」(黙示録2:7)楽園と呼ばれている。最初の楽園はエデンの園であり地上にあったが、罪を犯した後では死後の世界(黄泉)に移り、大きさは半分になり、キリストの贖いが完成した後は天に移ったのである。パラダイスには義人達もいたが不従順な者もいた。天国が報いによって階級があるように黄泉のパラダイスにもその生き方に応じての階級があったと考えられる。


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