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ピーター藤・和子

2013年2月26日火曜日

キリストの空中再臨(掲挙)を含む再臨について

<キリストの空中再臨(掲挙)を含む再臨について>

 その時期について艱難前期説、艱難中期説、艱難後期説があり、各々対立する理由になっているが、全部ある。正しく理解するためには、主の初臨を正しく理解することが必要だ。主は初臨と同じように来臨される。キリストの初臨は三重性があった。旧約聖書に異なる現れ方が示されている。

1第一の現れ 意外な方法で

 一般には判らないように、秘密裏に、飼い葉桶の 中に羊飼い・シメオン、アンナ(待ち望んでいた人々だけ)に現れられた。

 「それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女 がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。」(イザヤ7:14)

 「私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現われたのか。彼 は主の前に若枝のように芽生え、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、 私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。」(イザヤ53:1,2)

 「そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人 で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。聖霊が彼の上にとどまって おられた。また、主のキリストを見るまでは、決して死なないと、聖霊のお告げ を受けていた。彼が御霊に感じて宮にはいると、幼子イエスを連れた両親が、そ の子のために律法の慣習を守るために、はいって来た。すると、シメオンは幼子 を腕に抱き、神をほめたたえて言った。」「また、アセル族のパヌエルの娘で女預言者のアンナという人がいた。この人は非常に年をとっていた。処女の時代のあ と七年間、夫とともに住み、その後やもめになり、八十四歳になっていた。そし て宮を離れず、夜も昼も、断食と祈りをもって神に仕えていた。ちょうどこのと き、彼女もそこにいて、神に感謝をささげ、そして、エルサレムの贖いを待ち望 んでいるすべての人々に、この幼子のことを語った。」(ルカ2:25-28、36-38)

2第二番目の現れ 突然・神の民を裁くために

 「見よ。わたしは、わたしの使者を遣わす。彼はわたしの前に道を整える。あなたがたが尋ね求めている主が、突然、その神殿に来る。あなたがたが望んでいる契約の使者が、見よ、来ている」と万軍の主は仰せられる。この方は、銀を精練し、これをきよめる者として座に着き、レビの子らをきよめ、彼らを金のように、銀のように純粋にする。彼らは、主に、義のささげ物をささげる者となり、」(マラキ3:1,3)

「ユダヤ人の過越の祭りが近づき、イエスはエルサレムに上られた。そして、宮の中に、牛や羊や鳩を売る者たちと両替人たちがすわっているのをご覧になり、細なわでむちを作って、羊も牛もみな、宮から追い出し、両替人の金を散らし、その台を倒し、また、鳩を売る者に言われた。「それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」弟子たちは、「あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くす。」と書いてあるのを思い起こした。」(ヨハネ2:13-17)

3 第三番目の現れ方 王として

 「シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。」(ゼカリヤ9:9)

「そして、ろばと、ろばの子とを連れて来て、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた。すると、群衆のうち大ぜいの者が、自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの人々は、木の枝を切って来て、道に敷いた。そして、群衆は、イエスの前を行く者も、あとに従う者も、こう言って叫んでいた。「ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。ホサナ。いと高き所に。」(マタイ21:7-9)

<キリストの再臨についての三つの現れ>

1 第一の現れ 瞬間的に、稲妻・どろぼうのように

  その方向を向いている人だけ、起きて見張っている人だけが見る。
「人の子の来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、ちょうどそのように来るのです。」(マタイ24:27

「しかし、このことは知っておきなさい。家の主人は、どろぼうが夜の何時に来ると知っていたら、目を見張っていたでしょうし、また、おめおめと自分の家に押し入られはしなかったでしょう。」(マタイ24:43)

2 第二の現れ 雲の中に来る 人々が公然と見る

 「そのとき、人の子のしるしが天に現われます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。」(マタイ24:30,31)

3 第三の現れ 白い馬に乗り王の王主の主として来られる

 「また、私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗った方は、「忠実また真実。」と呼ばれる方であり、義をもってさばきをし、戦いをされる。その目は燃える炎であり、その頭には多くの王冠があって、ご自身のほかだれも知らない名が書かれていた。その方は血に染まった衣を着ていて、その名は「神のことば」と呼ばれた。天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。その着物にも、ももにも、「王の王、主の主。」という名が書かれていた。」(黙示録19:11-16) 

教会と大艱難

 主の御心は教会が大艱難時代に入ることではない。

「しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。」(ルカ21:36)

「あなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。」(黙示録3:10)<取りのけて別の所で守られる>


        前半:教会に対する艱難(裁き)
大艱難
        後半:世に対する艱難(裁き)


 第一の掲挙で挙げられる人々:

「また私は見た。見よ。小羊がシオンの山の上に立っていた。また小羊とともに十四万四千人の人たちがいて、その額には小羊の名と、小羊の父の名とが
しるしてあった。私は天からの声を聞いた。大水の音のようで、また、激しい雷鳴のようであった。また、私の聞いたその声は、立琴をひく人々が立琴をかき鳴らしている音のようでもあった。彼らは、御座の前と、四つの生き物および長老たちの前とで、新しい歌を歌った。しかし地上から贖われた十四万四千人のほかには、だれもこの歌を学ぶことができなかった。彼らは女によって汚されたことのない人々である。彼らは童貞なのである。彼らは、小羊が行く所には、どこにでもついて行く。彼らは、神および小羊にささげられる初穂として、人々の中から贖われたのである。彼らの口には偽りがなかった。彼らは傷のない者である。」(黙示録14:1-5)

 第二の掲挙で挙げられる人々:

「また、第三の、別の御使いも、彼らに続いてやって来て、大声で言った。「もし、だれでも、獣とその像を拝み、自分の額か手かに刻印を受けるなら、そのような者は、神の怒りの杯に混ぜ物なしに注がれた神の怒りのぶどう酒を飲む。また、聖なる御使いたちと小羊との前で、火と硫黄とで苦しめられる。そして、彼らの苦しみの煙は、永遠にまでも立ち上る。獣とその像とを拝む者、まただれでも獣の名の刻印を受ける者は、昼も夜も休みを得ない。神の戒めを守り、イエスに対する信仰を持ち続ける聖徒たちの忍耐はここにある。」また私は、天からこう言っている声を聞いた。「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行ないは彼らについて行くからである。」また、私は見た。見よ。白い雲が起こり、その雲に人の子のような方が乗っておられた。頭には金の冠をかぶり、手には鋭いかまを持っておられた。すると、もうひとりの御使いが聖所から出て来て、雲に乗っておられる方に向かって大声で叫んだ。「かまを入れて刈り取ってください。地の穀物は実ったので、取り入れる時が来ましたから。」そこで、雲に乗っておられる方が、地にかまを入れると地は刈り取られた。」(黙示録14:9-16)

「死体のある所には、はげたかが集まります。」(マタイ24:28

「はげたか」ではなく鷲たち(複数形で勝利者のシンボル)である。「死体のある所」とはほふられた主・イエスの所の意。


ミッション・あどない・いるえ
代表伝道者 ピーター藤 正信
MissionJehovahJireh@yahoo.co.jp
ブログ http://missionjehovehjireh.blogspot.com/
Titter : http://twitter.com/#!/MJJ_PeterFuji

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