ブログ表紙

ブログ表紙
ピーター藤・和子

2013年2月26日火曜日

かつてのミッションレポート

日は輝かに沈黙し 時はおもむろに移り行けり

美しさ地上の断片の如く 我が命は光の中にいきづく


 赤とんぼの作詞者、三木露風の歌である。彼は大正九年五月から、北海道は当別のトラピスト修道院で文学講師として(四年一ケ月)居住した。創造主が与えられた壮大な自然の中で三木は復活の主に出会った。二年後のイースターに妻と共に受洗し、キリストのいのちに輝いて生きた。昭和三九年二月交通事故で天に召された。七六才だった。
 この年、私共は「キリストの いのち輝け 日の国に」(イザヤ十一章十節)を標語に日本の各地で伝道させて頂きたく願っている。昨日も明日も変わらないお方のいのちの言葉を携え、讃美と音楽を媒介として一人でも多くの方々に福音を届けたい。
 あなたの街で、職場と家庭と学校で、教会で、キリストのいのちが光り輝くよう祈っていこう。日の昇る私たちの祖国をキリストの話題で満たそう。



「いったい、これはどういうことなのか」


昨年十二月に米国のペンサコーラにリバイバルを見てきた。人口が五万八千人の小さな町で八千人が救われ、そこにある一教会で十八ヶ月間に八万六千人が信仰を告白し、同じ期間に延べ百五十万人が訪れている。

 新生したクリスチャンになっているのは大人だけではない。多くの若者や子供が泣きながら悔い改めている。その結果、町が変わった。かつて暴力と酔っぱらい・麻薬と強姦が横行し、月二百ドルの家賃でも入居する人がなくなった町営住宅が、今ではその地域に生まれ変わったクリスチャンが増え安全になったので六百ドル払っても多く入居しているという。教会も数年前に献堂した二千五百席ある礼拝堂に朝から待つ者を併せ毎晩四千人もの会衆が押し寄せる。今や五千人収容できる新会堂建を計画中だ。聴衆はというと夕方六時過ぎの開場からほぼ真夜中までほとんどが帰らない。聖堂の通路という通路には神に触れられ倒れている人で足の踏み場を探さねばならぬほどである。臨在の火を伴って神があの小さな町に訪れておられるのだ。
 
 「人々は皆驚き、とまどい、『いったい、これはどいいうことなのか』と互いに言った。」と使徒業伝二章十二節にある。ペンテコステの日の出来事である。弟子達が聖霊に満たされ神の偉大な業を語れないはずの異国語で話し始めた。今は聖霊なる神が働かれ聖霊業伝と言われる時である。韓国や中国・アルゼンチンやアフリカで興っている事を日本で見る日が来ていると祈りの中で強く感じている。我々が夢に描いて来たことを現実に見る時が来ているのだ。信じられないような主の御業を見る時がである。先日祈りの中に幻を見た。岡の向こうに大きな軍勢が見え隠れしていた。様々な軍旗の先だけ、騎乗の戦士の頭だけが岡越しに見えていた。馬の嘶きや行軍する太鼓の音も耳を澄ますと聞こえてた。それは天の主の軍勢であると悟った。軍勢は見る見るうちに近づいて戦士たちの様子がどんどんはっきりと見えるようになった。なんと岡の向こうには軍勢がひしめき合っていた。いよいよ太鼓の響きは大きくなり、軍馬や戦士たちの吐息が光を通して輝いていた。
 
 今日本に主が訪れられる。



浄土真宗の本堂でやすらぎコンサート


浄土真宗の寺院の本堂でミッション・あどない・いるえのやすらぎコンサートか開催された。富山県小矢部市のアッセンブリー教団小矢部キリスト教会の稲葉隆子師の企画によるもので檀家など六十名が集まった。


 コンサートは九月二十一日の夜、大谷派の称名寺で行われた。本尊をまつってある部分をカーテンで仕切った所でプログラムは進められた。浜辺の歌、赤とんぼ、いい日旅立ち、夢路より、等の曲をオカリナ、クラリネット、トランペット、ソプラノ等で演奏した。曲の合間に短い話をした。神様、キリスト、聖書といった言葉は使わぬよう事前に伝えられていた。演奏後ある婦人が「お二人はキリストのキの字も言わなかったけど言
いたいことは全部言ってかれた」との話を聞いた。主にすべての栄光を帰した。称名寺の養女さんもとても喜んで便りを頂いた。住職は来年も是非コンサートをと言われた。
 四百数十年前に親鸞の弟子である蓮如が北陸の富山・石川・福井にあった土着の宗教を六十年間の伝道で人心をひっくり返した。浄土真宗王国ができるのである。である。しかし今日、富山県の呉西地区で判っているだけでも、実力のある七人の中堅の住職が革表紙の聖書を自分の書棚に揃えている。かつて浄土真宗が北陸の心を変えたように、生ける神の言葉と聖霊の力による北陸の真の信仰復興を我々は期待できる、いや期待すべきなのである。
 今秋の巡回伝道の最後がここ小矢部であった。親鸞の一弟子により北陸三県が浄土真宗になったのであれば、キリストの本物の弟子たちが命をかければ必ずや日本をキリストのもとに導けるに違いない、そんな熱い思いを持って一ケ月の伝道から帰路についたのであった。



二〇〇二年の北米伝道を終えて

              
    ミッション・あどない・いるえ
               代表伝道者 ピーター 藤 正信 

 二月二一日から三月二二日の間、米国の七都市を巡回して主に音楽を媒介とした集奉仕をさせていただいた。

 全米中最も広い面積のロサンゼルス、出てきたサソリに家内が刺されそうになったアリゾナのツーサン、ブッシュ大統領の故郷ミッドランド、NASAのあるヒューストン、膨大な花崗岩の上にあるジョージア州の州都で純金の屋根の州議事堂があるアトランタ、全米最大のモール・オブ・アメリカ(後楽園ドームが四個入り遊園地と三五〇店鋪が屋内にある)がありアラスカの次に寒い都市ミネアポリス、世界的に有名なメイヨー病院のあるロチェスターである。


 お祈りに支えられ主に守られ十二回のフライトを楽しめた。日本人教会などでの礼拝や”やすらぎコンサート”と延べ二五回の奉仕が与えられた。在米邦人の救霊の為に労苦されておられる先生方や兄弟姉妹と祈り、すばらしい交わりの時を得た。主が日本の歌を通して多くの日本人の心に触れられるのを見た。ごく普通の祈りなのに熱いものが流れたと言う米国人もいた。「音楽を通してのリバイバルだ!」とも紹介された。ある教会は二年後に奉仕の予定を決めてくださった。


 家内の体の不調となり奉仕前に妨げはあった。祈ると主はその集会に勝利と栄光を賜った。奉仕が終わると体調は戻った。
主が働かれる現実をこの度も拝したのである。

 
「俺の言葉を天皇の言葉と思え!」


「軍の命令は、天皇陛下の命令である。軍にそむく者は非国民である」との内地からの
青年軍曹の「命令」によって一九四五年四月八日、波照間島の住民一五九〇名(内児童三二五名)が西表島の南風見海岸の熱帯マラリア有病地に強制疎開をさせられた。二カ月後悪性マラリアが発生、児童六六名を含む八五名が戦わずして死亡、郷里波照間島に引き上げた後もさらに四百名余の犠牲者を出した。当時の波照間小学校長は軍命に抵抗し命を懸けて帰島許可の陳情をした。これが二週間遅れたら島民は全滅状態に追い込まれ
たろう。
 

 この教師は南風見海岸で悲憤の思いを「忘勿石 ハテルマ シキナ」の十文字で岩に刻み残した。これが一九九二年八月十五日に忘勿石碑として建造された。一方波照間島の西表島を望む港付近には学童疎開の碑が立っている。そこには「かつてあった山下軍曹(偽名)の行為は赦しはしようが、決して忘れはしない」と島の痛んでいる心が記されている。

 私たちはその場所で内地の民の罪を告白し、主が波照間の傷と痛みを十字架の上で負ってくださったことを宣言し、島の民の心とその地が癒されるように祈った。その持っている憎しみの故に悪魔が築き上げてきた橋頭堡を砕き、福音にかけられてきた覆いを取り除くようキリストの御名の権威によって命じた。そして波照間に福音が溢れ、希望と主の命が輝くように祈った。


 日本の最南端の碑の所では賛美と礼拝を捧げ、そこから北に向かって主の御業・福音の拡大・日本のリバイバルを宣言した。今回の南西諸島伝道の一つの大きな目的はこの波照間島に来ることであった。はたして主は南の果てで、この日本に果てしない空のように高く広く包まれている御父の愛と、次々と波のように押し寄せる御子の恵みと、吹き寄せる聖霊の風を見せ体に感じさせてくださった。こうして私たちは北上していく帰路に着いた。



三浦綾子さん幾多の病気に勝利して天国に凱旋す


 1999年10月12日三浦綾子さんが多臓器不全で昇天した。釧路で知った。その数日前の8日の午後雨の降りしきる中塩狩峠の三浦綾子記念館・旧邸に行った。「塩狩峠」の主人公になった長野青年が殉死した現場近くにある碑が見える小高い丘の上に三浦さんが「氷点」を書いていた当時雑貨屋を営んでいた建物をそっくりそのまま移築してある。「いつでも神と人々のために死ねる者になろう」の言葉の通り神の言葉・キリストの愛に生き抜いた長野青年の人生を思いつつ三浦さんもしばらくその場所に住んだ。受付嬢以外は誰もいない館内は三浦さんのかつての営みをほうふつとさせる物が整然と再現され、略
譜や作品にまつわる資料・写真が多く展示されている。三浦さんが今しも召されるのではと感じながら、厳粛な数時間を過ごした。彼女は1964年昭和39年42歳で朝日新聞一千万円懸賞当選作品として「氷点」が入選し1965年昭和40年43歳の時から作家活動を本格的に始めた。が、1971年紫斑病になり、1976年に心臓発作、1980年に三大痛い病である帯状疱疹に、1982年には直腸ガンの手術を受け、1992年パーキンソン病の診断を受けた。


 「唯一人の人にでも良い。私の思いを訴えたい。」三浦綾子が『氷点』を応募した時のこの思いは作家生活35年間一貫して守り続けてきた姿勢である。何を訴えたかったのか。それは人間とは、自由とは、救いとは、そしてキリストの贖罪とは何か、ということである。次々に襲いかかってくる病からの奇跡的な回復を繰り返しつつ80数作品を著し、その数3000万部以上が読者に届けられている。作品の多くはまた十数カ国語
に翻訳され広く海外の人々にも愛読されている。パーキンソン病と診断されて7年を経過した1999年口頭筆記もままならず寡黙の時が続いてきた。「病気もまた神様からの賜物」とする彼女の心はすべてを神様に委ねおだやかであったのであろう。彼女はなぜ書くかについてこう述べている。”一歩でも人を動かすものこそ真の文学とか。所詮私は半歩も人を動かせない。が、私の書くものを通して一人でもキリストに向いてくださる方がいるなら私はもはや言うことはない。”


 二階にある口頭筆記体験コーナーには三浦綾子さんの声がCDから流れて夫の三浦光代さんがなしてこられた模様を再現し体験できるようになっている。そのCDをかけた。「私の好きな言葉・・・”愛は人の徳を建つ”色紙を求められると私は時にこの言葉を書く。・・」今、天国で至高の愛に包まれている。

まことの悔い改め


 日本になぜリバイバルが興らないかについて韓国のチャン宣教師は語る。「日本は韓国等で教会を壊し、宣教師を追放し、人々を殺した。それなのにほとんどの日本人はただ言葉だけで『赦してください』と言っている。教会を壊したのなら建てるべきだ。主の働き人を追い出したのなら受け入れるべきだ。人々を殺したのなら生かすべきだ。これが本当の悔い改めというものであって、これをしていないから日本にリバイバルが興っていないのだ。」
 
 フィリピンにおいても日本は数年の間占領し、略奪し、殺戮を行った。マラカニアン宮殿の壁にも刻み込まれている死の行軍はあまりにも有名である。私はあるフィリピンの教会員から「自分の目前で両親が日本兵に殺された。」と告げられ、別の教会では「私の夫は一カ月以上縛られたまま置かれ、家は基地のように使われ、すべての家畜が食べられた。」と泣きながら話されるのを聞いた。

 ミッション・あどない・いるえはフィリピンに財団法人を設立し、一昨年からミンダナオに神学校を開校し、主の働き人の養成を始めている。七月から孤児院がオープンし十四人をお世話している。孤児を生かしているということである。主から与えられた一haの土地は宣教の基地となり、かたや身よりのない者のための家となっている。また、二〇〇〇年までに二十の教会をミンダナオに建てあげるヴィジョンを与えられ六つができている。この働きは単に一宣教団体のものではなく、広く多くの日本の教会、あなたの教会のものである。四月から開拓伝道に移られたばかりで奥様と二人だけで礼拝を守っておられる牧師先生から、このヴィジョンに参画し一教会を建てあげるための土地取得費・会堂建築費の百万円と毎月のフルタイム伝道牧会者をサポートする費用二万円を負坦したいとの申し出を受けた。今私たちは、日本の教会が対フィリピンの働きのための大きな窓口とされていると信じている。

 我が同胞アジアに対する悔い改めを、単に言葉だけではなく行いを持ってその実を現して、日本に栄光輝く大リバイバルを見せていただこうではないか。そのためにミッション・あどない・いるえを大いに用いて欲しい。



私は、死ななければならないのでしたら、死にます。


 一緒に動いている妻と十日程別行動をした。家内への慰めの言葉の少ない事を覚えながら洗濯をし、三十五年ぶりのラーメン屋に行き、インターネット喫茶に行き最近の人口動向統計を見た。


 今年も百十八万人が生れ、九十七万人(三十三秒に一人)が死んでいき、一億二千七百万人の中で三万人(十九分に一人)が自殺している事が判った。神が御子を賜る程に愛されている人が敵・悪魔に滅びに追い込まれているのだ。


 アハシュエロス王の時代にもペルシヤ帝国全土で少なくとも数十万人以上のユダヤ人に対して、七万五千人という反ユダヤ人派(九章十六節)が帝国の実力第一人者であるハマンにより絶滅計画が実行されつつあった。ユダヤ人の王妃エステルはあきらめず、死の危険を冒して自分の民族の為に行動し命を懸けた。
モーセはイスラエルの罪が赦されるため、名を神の書から消しさるよう願った。ジョン・ノックスも「我にスコットランド(の民族の救い)を、さもなくば死を」と祈った。しかし、御子なる神・イエスは全人類の救いのため命を懸けただけでなく実に死んでくださった。

 一人も亡びないようにとの熱い御旨に押し出され、命を懸けた救霊の業を進めていきたい。


ミッション・あどない・いるえ
代表伝道者 ピーター藤 正信
MissionJehovahJireh@yahoo.co.jp
ブログ http://missionjehovehjireh.blogspot.com/
Titter : http://twitter.com/#!/MJJ_PeterFuji 


0 件のコメント:

コメントを投稿