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ピーター藤・和子

2013年4月8日月曜日

魂の五感と霊の5感

高見盛の心

 「右肘の遊離軟骨を除去する手術をしたり、左足甲を剥離骨折したり、右膝靱帯を断裂したり、右肩を亜脱臼したりぼろぼろでしたね。よくここまでやれたと思います。努力して故障した箇所を鍛え、厳しい稽古を積んで乗り越えてきたという実感があります」と語る大相撲親方・振分精彦・元小結高見盛は「角界一の人気者」「ロボコップ」だ。

 高見盛といえば思い浮かぶ取組前のあのしぐさ。「自らの顔や胸を叩くのは、パフォーマンスでやっていたのではなかった。怖かったんですよ。土俵に上がるのが怖くてどうしようもなくて、気がついたら、自分の顔を殴っていた。だから、無意識だったんですよ。はじめは。」と振り返る。平成12年秋場所3日目、若の里関との取組で、踏ん張ったときに右膝に大けがをした。ブチブチ、と音がしたことは今でも忘れられないと言う。同愛記念病院で診断受けると前十字靱帯が断裂していて、「すぐに手術しなければ、歩くこともできなくなる」と言われた。目の前が真っ暗になり休場した。病室から国技館が見えて、辛かった。手術後暫くは足が動かせず、リハビリしていても自分の体という実感がなくて、二度と相撲がとれないのではと真剣に悩んだ。休場の間に曙関が引退し、あれだけ強い人でも引退するんだなとしみじみと感じ、どうせならぼろぼろになり、完全にぶっ壊れてから引退しても遅くはない、とことんまでやってやろう、と思うようになった。十両でも好成績をおさめ、平成14年春場所で約1年半ぶりに幕内の土俵に復帰。嬉しい反面不安が大きくなった。再度靱帯を切ってしまうのではと。幕内の土俵は、なにか十両とは違う雰囲気があった。初日は不戦勝で、2日目に土俵に上がったときに、足が震えた。制限時間が迫った時に恐怖心がピークになり、無意識に自分の顔を殴っていた。恐怖心を振り払いたかった。パフォーマンスとも言われたが、見せ物ではなく自分を鼓舞していただけだった。聖書が「人の心は病苦をも忍ぶ、しかし心の痛むときは、だれがそれに耐えようか」(箴言  18章 14節)と記されている通りである。

 人の心は見かけでは判らない。強いと思われる人程弱い場合もある。逆に弱いと思われている人が以外に強いのを見る事もある。母親はその良い例である。日頃は弱い存在としか思わない女性が子を守る為には驚くような強さを見せる。あるいは鉄のような意思を持っていると思える政治家が沸き上がった問題に心が耐えきれず自分の命を絶っていく。神だけがすべての人の心をご存知である事を聖書の多くの著者が延べている(列王記上 8章 39節、歴代誌下  6章 30節、使徒言行録  1章 24節ローマ人への手紙  8章 27節)。

 体に味覚・触覚・視覚・聴覚・嗅覚の五感がある様に心と言われる魂にも五感がある。記憶、想像、愛情、理性、良心(良識)である。更に霊の五感もある。霊の五感は信仰、希望、愛、啓示(霊感)、神への畏敬である。クリスチャンの魂の営みは肉体の五感からの影響を受けるがそれよりも霊の五感の影響を受ける。一方ノンクリスチャンは魂は肉体の5感からの影響だけを受けるが霊は神にあって死んでいるので影響を受けない。クリスチャンは神の御住まいである霊と魂の隔てが取り払われた状態にあるから主に願えば神の良き業を魂にして頂ける。だが、ノンクリスチャンは神の愛も永遠の希望も得られない。肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢といったこの世の願いを肉体の5感の影響でひたすら求める。両者の結果は、肉の思いは死であり御霊による思いは命と平安だ(ローマ8:6)との言葉に表される。貴方の心はどの五感の影響をより受けているのだろうか。

 無条件の愛と永遠の希望と神の言葉に裏打ちされた信仰に圧倒的に影響される心であり続けたいものである。

ミッション・あどない・いるえ
代表伝道者 ピーター藤 正信
MissionJehovahJireh@yahoo.co.jp
ブログ http://missionjehovehjireh.blogspot.com/
Titter : http://twitter.com/#!/MJJ_PeterFuji
チャーチナビhttp://kirisutokyoukai.web.fc2.com/

 

 

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