ブログ表紙

ブログ表紙
ピーター藤・和子

2013年4月24日水曜日

Q: ジャンヌ・ダルクのことを、クリスチャンの方はどう思われているのでしょうか。

Q: ジャンヌ・ダルクのことを、クリスチャンの方はどう思われているのでしょうか。キリスト教では、平和を求め、神は人間を愛し、人に隣人愛を求め、耐えられない試練を人に与えないと説きます。一方、ジャンヌ・ダルクは、天の啓示があったと戦争を起こし、その結果、多くの人が殺められることとなり、ジャンヌ自身も16歳の若さで公開火刑に処せられます。そして、21世紀になってから、バチカンは聖人に認定しています。ジャンヌが信仰に基づいて行動したことは確かでしょうが、無宗教の私にはどうにも理解できない事件です。

<ヤフーの知恵袋の質問への解答>
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10106102390

A : ジャンヌダルクはカトリック信者であったと言う事です。彼女が某かの志と偉大な目標を得たと言う事は信じますがそれが啓示とは思われません。啓示と言う言葉は神を知ると言う事に関して使われる言葉です。聖書を通してキリストの愛の深さを知ると言った様に。これが特別啓示です。これに対して空の鳥を見て神の偉大さが判ったと言う場合は神が創造された被造物の自然によって今まで覆われていた事柄が明らかになったというので一般啓示と言います。ですからジャンヌダルクは神について何かを教えられたのでは決してありません。これを間違えない様にしてください。
 バチカンが聖人に下と言う事がその根拠にもなりません。聖人とは人が決めたもので、神ではありませんがカトリックの方々はその聖人に対して祈ります。礼拝の対象にします。これは聖書に反しています。
 貴方が「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(コリントの信徒への手紙一 10章 13節)の聖書の言葉を掲げて聖書の神は耐えられない試練を人に与えないと言われます。
 しかし聖書は更に勝った道として「なおほかの者たちは、あざけられ、むち打たれ、しばり上げられ、投獄されるほどのめに会った。あるいは、石で打たれ、さいなまれ、のこぎりで引かれ、つるぎで切り殺され、羊の皮や、やぎの皮を着て歩きまわり、無一物になり、悩まされ、苦しめられ、(この世は彼らの住む所ではなかった)、荒野と山の中と岩の穴と土の穴とを、さまよい続けた。さて、これらの人々はみな、信仰によってあかしされたが、約束のものは受けなかった。神はわたしたちのために、さらに良いものをあらかじめ備えて下さっているので、わたしたちをほかにしては彼らが全うされることはない。」とヘブル書11章に信仰故にこの世では耐えられない困難と苦しみをあえて甘んじて生涯を終えて行ったキリスト信者がいた事を記しています。それはキリスト信者の命はこの世だけでなくキリストにあって永遠に続くからです。この生きている世界だけしかないと思う人には理解できないでしょう。ジャンヌダルクがそのような信仰者であったかは不詳ですが。

聖書の真理・教えについて詳しくお知りになりたい方は
http://missionjehovehjireh.blogspot.com/
を参照ください。

ミッション・あどない・いるえ
代表伝道者 ピーター藤 正信
MissionJehovahJireh@yahoo.co.jp
ブログ http://missionjehovehjireh.blogspot.com/
Titter : http://twitter.com/#!/MJJ_PeterFuji
情報ブック:http://jpnews.org/adv/cont_messenger.html
チャーチナビ:http://kirisutokyoukai.web.fc2.com/

0 件のコメント:

コメントを投稿