ブログ表紙

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ピーター藤・和子

2013年8月2日金曜日

傷んだ葦を折ることなく


題目:傷ついた葦を折られない主(イザヤ書 42章 3節)
起 ハンナの悲しみ(1サムエル記1:2〜20、2:20、21)
 「エルカナには二人の妻があった。一人はハンナ、もう一人はペニナで、ペニナには子供があったが、ハンナには子供がなかった。エルカナは毎年自分の町からシロに上り、万軍の主を礼拝し、いけにえをささげていた。いけにえをささげる日には、エルカナは妻ペニナとその息子たち、娘たちにそれぞれの分け前を与え、ハンナには一人分を与えた。彼はハンナを愛していたが、主はハンナの胎を閉ざしておられた。彼女を敵と見るペニナは、主が子供をお授けにならないことでハンナを思い悩ませ、苦しめた。毎年このようにして、ハンナが主の家に上るたびに、彼女はペニナのことで苦しんだ。今度もハンナは泣いて、何も食べようとしなかった。夫エルカナはハンナに言った。「ハンナよ、なぜ泣くのか。なぜ食べないのか。なぜふさぎ込んでいるのか。このわたしは、あなたにとって十人の息子にもまさるではないか。」さて、シロでのいけにえの食事が終わり、ハンナは立ち上がった。祭司エリは主の神殿の柱に近い席に着いていた。ハンナは悩み嘆いて主に祈り、激しく泣いた。そして、誓いを立てて言った。「万軍の主よ、はしための苦しみを御覧ください。はしために御心を留め、忘れることなく、男の子をお授けくださいますなら、その子の一生を主におささげし、その子の頭には決してかみそりを当てません。」ハンナが主の御前であまりにも長く祈っているので、エリは彼女の口もとを注意して見た。ハンナは心のうちで祈っていて、唇は動いていたが声は聞こえなかった。エリは彼女が酒に酔っているのだと思い、彼女に言った。「いつまで酔っているのか。酔いをさましてきなさい。」ハンナは答えた。「いいえ、祭司様、違います。わたしは深い悩みを持った女です。ぶどう酒も強い酒も飲んではおりません。ただ、主の御前に心からの願いを注ぎ出しておりました。はしためを堕落した女だと誤解なさらないでください。今まで祈っていたのは、訴えたいこと、苦しいことが多くあるからです。」そこでエリは、「安心して帰りなさい。イスラエルの神が、あなたの乞い願うことをかなえてくださるように」と答えた。ハンナは、「はしためが御厚意を得ますように」と言ってそこを離れた。それから食事をしたが、彼女の表情はもはや前のようではなかった。
 エリはエルカナとその妻を祝福し、「主に願って得たこの子の代わりに、主があなたにこの妻による子供を授けてくださいますように」と言った。こうして彼らは家に帰った。主がハンナを顧みられたので、ハンナは身ごもり、息子を三人と娘を二人産んだ。少年サムエルは主のもとで成長した。

 今日はハンナの悲しみを通して傷ついた葦を折られない主を覚えて参りましょう。

1:あらまし
エルカナ(神が所有した、神が創造したの意味)の妻ハンナ(恵みの意味)は主に胎を閉じられていたので子がなかったのです。今一人の妻ペニンナはハンナを敵と見、主が子供をお授けにならないことでハンナを思い悩ませ、何年も苦しめました。ハンナは悩み嘆いて主に祈り、激しく泣きました。深い悩みを主の御前に心からの願いを注ぎ出しました。主の家に行く度泣いて苦しみ何も食べなかったのですが、主に祈ってからは彼女の表情はもはや前のようではありませんでした。主は彼女を御心に留められ、サムエルが与えられ更に息子3人と娘2人が与えられたという物語です。
このハンナの苦しみを見る二つの考え方があります。
a:その一つは神の存在を認めない人間中心の見解です。
・一夫多妻性がそもそもハンナの悲しみの原因だと言う人もいるでしょう。言い換えると自分の環境が悪い主人が悪いからこんな辛く傷つけられた私がいると。
あるいは
・主が子をくださらないからこのように虐められなければならない。神様のせいだと不信仰の鬼の様になってしまいます。
b:次に、全ての事に神の介入を認め、神の大きな計画の中に全ての出来事を見ようとする立場です。
・子がない事はハンナの問題ですが、神には問題はなくこの状況を一転する事がおできになります。
また
主がハンナの胎を閉ざしておられるのは何か大きな御心、ご計画があるからではないか。それを主に教えて頂ければこの苦しみは報われるはずです。
あなたはハンナの物語を読んでどちらの立場に立ちますか?

1:第一のメッセージは
「あなたのまことの父である神様はあなたの苦しみ、悲しみを見て覚えておられ助けてくださる」と言う事です。
あ:知ってくださる
「わたしは、あなたの座すること、出入りすること、また、わたしにむかって怒り叫んだことをも知っている。」(イザヤ書37:28)
あなたはわたしの嘆きを数えられたはずです。あなたの記録にそれが載っているではありませんか。あなたの革袋にわたしの涙を蓄えてください。(詩編56:9)

主が知ってくださっている事を感謝しましょう。神様の革袋に貴方の涙を蓄えてくださっている事を覚えましょう。

い:助けてくださる
ある悲しみは罪と関わりがあります。
悪しき者は悲しみが多い。しかし主に信頼する者はいつくしみで囲まれる。(詩篇  32篇 10節)
しかし、あなたの罪の為には贖いの対価が払われました。御子イエス・キリストがその命を持って償ってくださったのです。

例話:東北地方に父と娘の2人暮らしの親子がいました。娘は30 歳になり父親は退職して、貯めた金で小さな家を買い、早く孫 の顔でも見たいといって暮らしていました。ところがある日突然、この娘が蒸発しました。それもつかの間、父親の元に、見たこともないような手紙がどんどん舞い込んできました。それは、請 求書でした。実は、娘がいつの間にか、多額の借金をしていたのです。一 千万円以上になろうという金でした。娘は父親に手紙を書きました。友人の借金の保証人になってしまっ たこと、それに自分の借金も加わり、雪だるま式に増えて、とても自分では払い きれなくなってしまったこと。もう死にたいと思ったこと。でも、死ぬことがで きず、東京に出てきたこと。父親は驚きました。けれど、娘のことを思うとやっと買った小さな家を 売り払い、隠居の身をすっかり忘れて、朝働き、昼働き、夜働いて、7年間身を 粉にして働きました。とうとう7年目、この娘の借金を全部、払い終えました。そして娘に手 紙を書きました。「娘よ。おまえの借金は全部、乳が払い終わったよ。お まえはもう自由の身だよ」と。しかし、その手紙を書いて三日目に、父親は亡くなったのです。

神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします。(コリントの信徒への手紙二  7章 10節)

この父親の様に真の父である神様はあなたを助けてくださるのです。その為の対価は既に払ってくださってあるのです。
「わたしは彼らの嘆きを喜びに変え彼らを慰め、悲しみに代えて喜び祝わせる」 (エレミヤ31:13)



2:第二のメッセージは「神様の前に心を注ぎ出す事です。人の前に愚痴るのではなく神様の前に泣き、呻き、叫び、願う事です。」
例:私の妻は私に不満があるといつも主に言いつけます。「主人はあなたが与えてくださったのですよ。主人はこういう人です。何とかしてください。あなたが主人を変えてください。」と祈るのです。私はたまったものではありません。
その妻も一人息子が高校生の時アメリカに留学させる為に送り出す前は悲しくて、息子と二人で暫くは温泉も美味しい和食も味わえないかもと伊豆の温泉旅館に行きました。楽しい筈の一時の写真を見ると顔は笑っているのに目は泣いていました。
 まさに

笑う時にも心に悲しみがあり、喜びのはてに憂いがある。(箴言 14章 13節)

状況でした。
 ある時、新潟の教会で奉仕をし、泊めて頂いた夜、妻は「お母さん」という息子の声に起きました。何だろうと思い、二人で息子の為に祈りました。翌朝、息子に「何かあったの。昨夜声が聞こえたので二人でお祈りしたんだけど」と聞くと、「その時間に大きな集会でドラムの演奏を頼まれていたが体調が悪かったがしばらくしたら回復して上手くできた」と言う事でした。神は息子の心の叫びを私達に聞かせて祈らせられたのです。
 しかし、10年後息子は帰って来て喜びとなりました。

3:第3のメッセージは「主に申し上げたら主に委ねきる、神を信じきる」事です。

神を信じ、神に期待する者に絶望はありません。

・私の辞書に”悲惨”という文字はありません。
とヘレンケラーは言いました。
信じきると言う事は大きな発電所の発電スイッチを入れるようなものです。
・トーマス・エジソンの言葉
光、暖かさ、健康、力はすでにもう存在しているのですから、スイッチを入れさえすればよいのです。電線そのものは別に何でもありません。絶縁された二、三本の銅線にすぎないのです。しかし、その線の中をプラスとマイナス二つの電流が流れると、すべてが変わってきます。暗黒は失せ、冷気はなくなり、仕事もたやすくできるようになります。
100%天のお父様を頼って信仰のスイッチを入れてください。
ハンナの表情はもはや前のようではなかったと聖書は記しています。主を信じきる時、もはや悲しみは無くなり期待で心がいっぱいになります。

・あなたの涙が神様の革袋に貯められている事を覚えましょう。
・今、あなたの悲しみと痛みを主の元に持って行き素直に「助けてください」と心を注ぎ出しましょう。

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