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ピーター藤・和子

2015年4月2日木曜日

霊・魂・体の区分の教え

霊・魂・体の区分の教え

霊・魂・体の区分
・第一テサロニケ5:23 
 霊:命の息(創世記2:7)神に属するもの 未信者の霊も
天に帰り
    (伝道者の書3:21、)、地獄へ行かない(マタイ
10:28)。 
 魂:知性、感情、意志を司る人の存在の中心的なもの(
 体:死ぬとちりになる(伝道者の書12:7)

霊と魂の区別 黙示録9:1「彼らは、底知れぬ所の御使いを
王にいただいている。彼の名はヘブル語でアバドンといい、ギ
リシヤ語でアポリュオンという。」サタンの名前の一つである
その意味は破壊である。サタンは神が造られたものを破壊する
。創世記1:26。人は神の形、神の似姿に造られた。サタン
は神の形と姿を破壊した。人の中に死と亡びが入った。霊・魂
・体は一体だったが破壊され別々の運命を持つ存在とされた。
生きている時は一体性を持っている。ただ隔ての幕が降りてい
るかいないかである。前者がキリスト者、後者が未信者である
。信者は生きている時から霊と魂はキリストにおいて一体にな
れる。アダムは善悪を知る樹の実を食べたその時に死ぬと言わ
れた。霊的に神との関係においてである。そして900年後に
体は死んだ。ノアの洪水の後には120年の齢とされた。体は
80年、120年で体は死ぬ。が魂はどうか。永遠に地獄か天
国で存在し続ける。霊は不滅である。伝道者の書3:21「だ
れが知っているだろうか。人の子らの霊は上に上り、獣の霊は
地の下に降りて行くのを。」「ちりはもとあった地に帰り、霊
はこれを下さった神に帰る。」(伝道者の書12:7)。創世
記6:3「そこで、主は、「わたしの霊は、永久には人のうち
にとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。そ
れで人の齢は、百二十年にしよう。」と仰せられた。」人は死
ぬまではその霊は生きていると言われる。霊が取り去られると
死ぬ。体にいのちを与えているのが霊である。しかし霊的に死
んでいる。隔ての壁がある。神が占有を予約されている部屋が
霊である。人は何をしても空しいと言うことがそれを表してい
る。
 魂体のように滅びる。霊が滅びると言う表現はない。ヨブ3
3:28「神は私のたましいを贖ってよみの穴に下らせず、私
のいのちは光を見る。」と。」ヨブ28:30は「人のたまし
いをよみの穴から引き戻し、いのちの光で照らされる。」とあ
る。ヨブ34:14~15は霊の事を言っている。「もし、神
がご自分だけに心を留め、その霊と息をご自分に集められたら
、すべ
ての肉なるものは共に息絶え、人はちりに帰る。」イザヤ38
:17「ああ、私の苦しんだ苦しみは平安のためでした。あな
たは、滅びの穴から、私のたましいを引き戻されました。あな
たは私のすべての罪を、あなたのうしろに投げやられました。

魂の亡びを言っている。マタイ10:28「からだを殺しても
、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そん
なものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすこと
のできる方を恐れなさい。」魂と体で滅びるのは魂と体と言っ
ている。
 魂は体が5感があるように記憶、良心、想像力、理性、愛情
を持ったまま黄泉に行く。しかし、神にある新しい霊魂を持っ
て天国に行くのがキリスト者である。魂も土から造られた。鼻
から息を吹き込まれたのは人だけである。魂は体に属するもの
である。天のパラダイスは黙示録2:7「耳のある者は御霊が
諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者に、わたし
は神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。」』
」(パラダイス:楽園)最初の園は地上にあったが、罪をおか
した後では死後の世界に移り大きさは半分になり、キリストの
購い後は天に移った。パラダイスには義人たちも板が不従順な
者もいた。天国が酬いによって階級があるように黄泉のパラダ
イスにもその生き方に応じての階級があったように考えられる

「しかし、わたしは恵みを彼からもぎ取らず、わたしの真実を
偽らない。わたしは、わたしの契約を破らない。くちびるから
出たことを、わたしは変えない。」(詩編89:33、34)
「主の恵みは、永久に絶たれたのだろうか。約束は、代々に至
るまで、果たされないのだろうか。」(詩編77:8) 
全米アッセンブリー教会の総裁は「あなたが一度救われたなら
、あなたは救われている」という教理偽りであり、悪魔からの
ものだ」と言って、イスカリオテのユダが滅んだ例を挙げ、救
いは個人の信仰によって保たれ、守られなくてはならない」と
語っている。
霊・魂・体の区分 人は神の形のように三位一体性を持つもの
として造られた。悪魔は人(アダム)が罪を犯したことにより
この統一的一体性を壊した。
魂は地獄に堕ちていく神が与えられた霊<神の息>は神の元に
帰る。(伝道者の書3:21)購われた魂は黄泉に行かない。
「神は私のたましいを贖ってよみの穴に下らせず、私のいのち
は光を見る。」(ヨブ33:28)不信者の魂と体がゲヘナ(
地獄)に行くが霊は行かない「たましいもからだも、ともにゲ
ヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい」(マタイ10:2
8)。
魂中心の生き方ではなく霊中心御言葉中心の生き方を神は最初
に人に与えられた。魂中心の生き方をすると勝利を得られなく
なる。感情や考えがたといどうであっても神の語りかけに従う
のが霊中心の生き方である。

レビ記16:1ー22では大祭司と2頭の山羊(アザゼルを含
む)が購いのために必要であった。罪のよって死と滅びという
破壊された人間性をこの三者はキリストの霊・魂・体を預表し
ている。1頭は罪のためのいけにえ。購いのために殺され血が
流される。キリストの体を象徴している。この血が真の至聖所
に携えられていった。全人類の全時代の購いとなられた。
アザゼルの山羊を放ち、すべての罪咎を置かれ一人寂しく荒野
に追いやられる。これはキリストの魂を預表している。彼は生
きたまますべての人のすべての時代の罪とその結果の咎・呪い
を負われた。オリーブ山と死海との間のヨルダンの荒れ野に追
いやられ、あるいは暗い谷底へ突き落とされて孤独の死を遂げ
るのがアザゼルの山羊であった。アザゼルが生きたまま不毛の
地に捨てられるのは神の民から罪が遠く離れた(詩編103:
12)。「我が父」と呼ばれていた御子が御父からも自然の恵
みからも見放され「我が神」と呼ばれたキリストの魂がすべて
の罪を持ち去ってハデスに行かれた。そこで神の怒りと裁きを
受け(詩編88編)られた。罪はエデンの園の中にいたエバと
アダムの魂から生まれ、教会は黄泉・ハデスのキリストの苦し
みの中で身
ごもられ生まれた(詩編139:15、16)。キリストが地
獄に行かれ、裁
かれ呪われたからにはわたしが地獄に行き、裁かれ、呪われる
ことはあり得ない。
大祭司が購いの日に果たした役割
 先ずいけにえをほふり、その血を祭壇の内側に持って入り購
いのふたに振りかける。血を携えて至聖所に入った。キリスト
の霊は息絶えた瞬間ご自分の血を持って天の至聖所に持ってい
って民の購いを完成された。「キリストが傷のないご自身を、
とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どん
なにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生
ける神に仕える者とすることでしょう。」(ヘブル9:14)
はレビ16:15ー19の預言の通りである。
 大祭司としての主の次の務めはご自分の魂を我々のすべての
罪と咎、永遠の裁きを負わせてハデス(神の園)に追いやられ
たことであった。
 キリストの霊が大祭司として果たされた役割の今一つは、葬
られていた3日間パラダイス(ルカ23:43)に行きそこに
いた御名を呼び求めて死んだ魂を神の御元に導かれた第一ペテ
ロ3:18ー20「キリストも一度罪のために死なれました。
正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉に
おいては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神の
みもとに導くためでした。その霊において、キリストは捕われ
の霊たちのところに行ってみことばを宣べられたのです。昔、
ノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待ってお
られたときに、従わなかった霊たちのことです。わずか八人の
人々が、この箱舟の中で、水を通って救われたのです。」。こ
れは逃れの町の予表である。民枢記35:25ー28「会衆は
、その殺人者を、血の復讐をする者の手から救い出し、会衆は
彼を、逃げ込んだそののがれの町に返してやらなければならな
い。彼は、聖なる油をそそがれた大祭司が死ぬまで、そこにい
なければならない。もし、その殺人者が、自分が逃げ込んだの
がれの町の境界から出て行き、血の復讐をする者が、そののが
れの町の境界の外で彼を見つけて、その殺人者を殺しても、彼
には血を流した罪はない。その者は、大祭司が死ぬまでは、そ
ののがれの町に住んでいなければならないからである。大祭司
の死後には、その殺人者は、自分の所有地に帰ることができる
。」の逃れの町に逃げた人々のように罪人だが神を仰いだ人で
あった。そこから出れるのは大祭司が死んだときであった。そ
れが完成したということを3日間、語られにパラダイスに行か
れたのであった。主が低いところパラダイスに下られそこにい
た人々があたかも捕虜のように天に携えあげられていったエペ
ソ4:7ー9「しかし、私たちはひとりひとり、キリストの賜
物の量りに従って恵みを与えられました。そこで、こう言われ
ています。「高い所に上られたとき、彼は多くの捕虜を引き連
れ、人々に賜物を分け与えられた。」�$,$$3$N!V>e$i$l$?!#!W
ということばは、彼がまず地の低い所に下られた、ということ
でなくて何でしょう。」。パラダイス(慰めの場所・楽園)は
大祭司の死を待つところだったが最早誰もいなくなった。もう
誰もパラダイスに行く必要はない。福音を聞いて救われなかっ
たが神の御名を呼んだ人々の魂(ノアの時代の人々のように悔
い改めのみを結ぶことはなくても)が皆パラダイスにいた。主
の御名を呼び求める者はすべて救われるの御言葉の通り主は哀
れみ深いお方である。キリストの霊がハデスで死を味わってい
るキリストの魂を救うために駆けつけそれが一つになり、やが
ては軍勢に襲いかかり滅ぼし(詩編18)、死と黄泉の鍵を奪
い取られその力を打ち破られた。「それで私は、この方を見た
とき、その足もとに倒れて死者のようになった。しかし彼は右
手を私の上に置いてこう言われた。「恐れるな。わたしは、最
初であり、最後であり、生きている者である。わたしは死んだ
が、見よ、いつまでも生きている。また、死とハデスとのかぎ
を持っている。」(黙示録1:17、18)。

 ヘブル11:39ー40「この人々はみな、その信仰によっ
てあかしされましたが、約束されたものは得ませんでした。神
は私たちのために、さらにすぐれたものをあらかじめ用意して
おられたので、彼らが私たちと別に全うされるということはな
かったのです。」
エノクやエリヤも空中にあげられたがキリストの購いが完成し
ていなかったので天に行くことはできなかった。旧約の聖徒は
誰一人天に行った者はいない。天は真の至聖所であるからそこ
に道が開かれない限り誰もそこに行くことはできなかった。彼
らは挙げられたのは掲挙の雛形である。その聖徒たちは黄泉の
パラダイスに行った。マタイ11:9ー12「でなかったら、
なぜ行ったのですか。預言者を見るためですか。そのとおり。
だが、わたしが言いましょう。預言者よりもすぐれた者をです
。この人こそ、『見よ、わたしは使いをあなたの前に遣わし、
あなたの道を、あなたの前に備えさせよう。』と書かれている
その人です。まことに、あなたがたに告げます。女から生まれ
た者の中で、バプテスマのヨハネよりすぐれた人は出ませんで
した。しかも、天の御国の一番小さい者でも、彼より偉大です
。」これは信仰義認の事を言っている。エノクは死を通らない
でパラダイスに移されたという事である。
第一コリント3:10、11「というのは、だれも、すでに据
えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできない
からです。その土台とはイエス・キリストです。与えられた神
の恵みによって、私は賢い建築家のように、土台を据えました
。そして、ほかの人がその上に家を建てています。しかし、ど
のように建てるかについてはそれぞれが注意しなければなりま
せん。」土台は神の恵みによって与えられるが、建物は魂のレ
ベルで自分で決めることである。しかしその責任は問われる。

・「一度光を受けて天からの賜物の味を知り、聖霊にあずかる
者となり、神のすばらしいみことばと、後にやがて来る世の力
とを味わったうえで、しかも堕落してしまうならば、そういう
人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼
らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える
人たちだからです。土地は、その上にしばしば降る雨を吸い込
んで、これを耕す人たちのために有用な作物を生じるなら、神
の祝福にあずかります。しかし、いばらやあざみなどを生えさ
せるなら、無用なものであって、やがてのろいを受け、ついに
は焼かれてしまいます。」ここでは成長、聖化がテーマである
。救いについて述べられているのではない。五章11節から。
雑草が焼かれるのであって、土地まで失うのではない。神のみ
心に従って有用な者、実を結ぶ事がないなら酬いを失うと言う
ことである。「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王であ
る祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あな
たがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてく
ださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるた
めなのです。」とあるが天国には王達もいると言われている。
(黙示録22:5)ただの市民もいる。キリストの花嫁となる
人もいる。天のエルサレムに主に会いにくる者もいる。
霊と魂の5感
キリストの系図の中に婦人達5人の名前が出てくる。:タマル
、ルツ、これらは特別な困難を通った女性であり、魂の5感を
教えている。
1:タマル:記憶力を現す。ユダに印を求めユダは杖など3点
を与えた。
 彼女は後にそれを手にして正しい裁きを得た。創世記38:14~26
2:ラハブ:想像力を現す:エリコの民はイスラエルが勝利を
得ると考えた。
 ラハブは赤いひもをつるし希望をおいた。ヨシュア2:9~
13
3:ルツ:良心:彼女は姑との契約を重んじた。姑のナオミを
一人にしなかった。
  ルツ1:16
4:ウリヤの妻:バテシバは愛情を現す。第二サムエル12:
24
5:マリヤ:思い・思考を現す。ルカ1:29、2:35
   「剣がマリヤの心を指し貫く」「思いがめぐらした」
 創造主は人にその存在に応じて三組の法則を与えられた。霊
・魂・体の為の法則である。それは感覚あるいは能力として理
解できる。我々の内なる人あるいは霊的生活の法則(霊の5感
)は「信仰、希望、愛、啓示、神への畏れ」である。魂の法則
あるいは5感覚あるいは能力は想像、愛情、意識、記憶、理性
である。体に与えられている5感は「視覚、聴覚、嗅覚、味覚
、触覚」が与えられている。人はすべてこれら3組の5つの法
則を持っており、その領域内で生活している。
霊が魂を導かなければならない。霊は魂を殺してはならない。
 
結婚における霊・魂・体
 マリヤは聖霊により身ごもっていた。ヨセフはそれを道なら
ぬこ事と思い離縁しようとしていた。マタイ1:17までには
罪の背景がある。いつも悪いことが起こっていた。しかし、主
イエスはその民を罪から救うお方、ダビデの子孫であったので
(第一ペテロ1章)ダビデの種から生まれられた。マリヤの胎
に宿られたように我々の中に充ち満ちた方として働かれる神の
種として宿っておられる。我々はこの神の種・神の言葉なるキ
リストを頂いているから神の性質に成熟し、百倍にも増える御
霊の実を結んで行かねばならない。
 ヨセフはマリアを主にあって理解し、主にあって導かなけれ
ばならなかった。夫は妻を導く必要がある。二人が夫婦になる
と2つの家系、2つの背景がある。魂の領域はいつも霊主導型
の生き方と肉主導型の生き方の争いが起こる。
デバインシード:神の種
デバインネイチャー:神の性質

          霊     不可視   神からのアイ
                       デンテティ

   肉体     魂     不可視   人としてのア
                      イデンテティ

   肉体     体           人としてのア
                      イデンテティ
人が結婚するとき霊・魂・体の順で1つになっていかなけれ
ばならないが、今日この順序が逆になっている。祈りにより霊
的理解が第一に必要である。魂の理解は景色や音楽など霊的な
部分に比すとそれほど重要でない。多くのクリスチャンは霊的
になろうとして魂の要求を無視している。しかしそれを無視し
ないで認め霊から指示、導きを得ることが大事である。魂には
願望がある。離したい、愛したい、分かち合いたい、等。主は
リストの福音にふさわしく生活しなさい。そして、わたしが行
ってあなたがたに会うにしても、離れているにしても、あなた
がたが一つの霊によって堅く立ち、一つ心になって福音の信仰
のために力を合わせて戦い」。

 肉による歩みは聖霊・御言葉から発し霊から魂から肉体に進んで
いく。霊による歩みは悪魔からの混乱(デアボロスという悪魔
の別名)により発し肉体関係から魂から霊に進んでいく。人間的
存在意義を主張する部分は魂と体である。
 聖書の訳は霊・魂・体の区別を理解しないでなされている場
合が多い。心という場合は魂と霊を含む。
 
霊・魂・体の区分と愛
 霊の愛はアガペであり、魂の愛は友情・兄弟愛・親の愛であ
り、肉体の愛はエロスである。霊の一致と魂の一致がある(理
解し合えている)と肉体の一致もある。神の定めは霊魂体の順
に進んでいく。人は父母を離れ、天に父に従順になると、妻と
魂のレベルで1つになり、性のレベルでも一致できる。魂は清
さが求められる。
 夫が他の女性の魂を求めてその結果肉体関係を結ぶようにな
ると家庭に破壊的問題が起きる。夫婦が体だけの結婚生活をし
ており、魂が他の異性の魂と親しいあるいは結ばれているとそ
の夫婦は破滅する。魂の親密な関係は肉体を守る。「さて兄弟
たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの名によって、あな
たがたに勧める。みな語ることを一つにして、お互の間に分争
がないようにし、同じ心、同じ思いになって、堅く結び合って
いてほしい。」第一コリント1:10 教会の中でも結婚生活
の中でもである。「夫たる者よ。あなたがたも同じように、女
は自分よりも弱い器であることを認めて、知識に従って妻と共
に住み、いのちの恵みを共どもに受け継ぐ者として、尊びなさ
い。それは、あなたがたの祈が妨げられないためである。」第
一ペテロ3:7夫は妻を理解して進むべきである。互いに理解
を深めるには時間がかかる。私の霊の中にキリストの霊がこら
れた。聖霊はすべての真理に導く。聖霊とキリストが答えを与
えてくださる。愛や家庭が悪魔により破壊されている。罪をも
てあそぶな。

ミッションあどない・いるえ
代表 伝道者 ピーター 藤 正信
MissionJehovahJireh@yahoo.co.jp
http://missionjehovehjireh.blogspot.jp
https://twitter.com/MJJ_PeterFuji

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