ブログ表紙

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ピーター藤・和子

2015年4月2日木曜日

モーセの幕屋の教理

幕屋の真理:キリストの住まい(教会)に関する神の定め
私たちが神の家 
  「しかし、キリストは御子として神の家を忠実に治められ
るのです。もし私た ちが、確信と、希望による誇りとを、終
わりまでしっかりと持ち続けるならば、 私たちが神の家なの
です。」(へブル3:6)

神が住まわれる所
  「彼らがわたしのために聖所を造るなら、わたしは彼らの
中に住む。」(出25: 8)黙示録3:20、ヨハネ14:
20

神の御住まいとなる 
 「このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御
霊によって神の御住まいとなるのです。」(エペソ2:22)エ
ペソ4:1-21

どうして今日の教会が力がないのか敗北しているのかそれはデ
バインオーダーがない、あるいはそれに従っていないからであ
る。どうして教会に悲しみが満ちているのかそれは教会が神の
秩序と定めを破っているからである。神の定めに従っているか
否かが全く大きな差を生むのである。それを知り従うとき教会
は勝利と繁栄と前進がもたらされるのである。あなたは山で示
された定めのとおりに、幕屋を建てなければならない。出26
:30

幕屋の型と幕屋のすべての用具の型とを、わたしがあなたに示
すのと全く同じように作らなければならない。出25:9

よく注意して、あなたが山で示される型どおりに作れ。出25:40

燭台の作り方は次のとおりであった。それは金の打ち物で、そ
の台座から花弁に至るまで打ち物であった。主がモーセに示さ
れた型のとおりに、この燭台は作られていた。民8:4

私が、きょう、あなたに、あなたの神、主を愛し、主の道に歩
み、主の命令とおきてと定めとを守るように命じるからである
。確かに、あなたは生きて、その数はふえる。あなたの神、主
は、あなたが、はいって行って、所有しようとしている地で、
あなたを祝福される。申命記30:16

 <荒野の幕屋は型>
示された型に従って 
 「その人たちは、天にあるものの写しと影とに仕えているの
であって、それらは モーセが幕屋を建てようとしたとき、神
から御告げを受けたとおりのものです。 神はこう言われたの
です。『よく注意しなさい。山であなたに示された型に従っ 
て、すべてのものを作りなさい。』」(へブル8:5)

昔書かれたものは私たちを教えるために書かれた 
 「昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれた
のです。それは、聖 書の与える忍耐と励ましによって、希望
を持たせるためなのです。」(ローマ15:  4)

戒めのため教訓とするため
 「これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、
それが書かれたのは、 世の終わりに臨んでいる私たちへの教
訓とするためです。」(1コリント10:11)

 出エジプト25章~28章
 へブル5章~8章

神の定めを教える、神の道を教えるものである。
 
 神は教会のためのデバインオーダーも定めておられる。礼拝
に関する、教会に関する、職務、聖霊の賜物に関する定めてお
られる。どうして今日の教会が力がないのか敗北しているのか
それはデバインオーダーがない、あるいはそれに従っていない
からである。どうして教会に悲しみが満ちているのかそれは教
会が神の秩序と定めを破っているからである。神の定めに従っ
ているか否かが全く大きな差を生むのである。それを知り従う
とき教会は勝利と繁栄と前進がもたらされるのである。
 
 「今、もしも、私があなたのお心にかなっているのでしたら
、どうか、あなたの道を教えてください。そうすれば、私はあ
なたを知ることができ、あなたのお心にかなうようになれるで
しょう。この国民があなたの民であることをお心に留めてくだ
さい」(出エジプト33:13)。「主は、ご自身の道をモー
セに、そのみわざをイスラエルの子らに知らされた」(出エジ
プト33:13)。主の道を教えるために見せられたのが幕屋
である。いかに罪人は神の近づくことができるか、いかに神の
臨在の中にはいることができるか、奉仕者はいかに奉仕すべき
か、神の家はいかに建てあげられるべきか、神のパンはいかに
して提供されるべきなのか、神の家はいかに治められるべきか
、どんな礼拝が捧げられるべきか、神の栄光はどこに宿るか、
等を教えるのが幕屋である。青銅の祭壇、青銅の旋盤、幕屋と
いう建物、供えのパンの机、黄金の燭台、金の香壇、至聖所の
契約の箱である。

神の定めと秩序
 今や世界中は、物事の根源を見いだしたいと切に願っている
。科学者たちは原子の世界を既に開いている。「主はおのれの
道をモーセに知らせ、おのれのしわざをイスラエルの人々に知
らされた」(詩編103:7)。モーセは祈った。「どうか、
あなたの道を示し、あなたをわたしに知らせ、あなたの前に恵
みを得させてください」(出33:13)。神は、主の至聖所
の型(パターン)を与えるための、主の様々な道をモーセに示
された。「主の様々な道」とは主を知るためのいくつかの支流
のようなものである。
 パウロは、幕屋は新約の教え(レッスン)を明らかにするも
のであると繰り返し語っている。「山で示された型通りに、注
意してその一切を造りなさい」(ヘブル8:5)。この型につ
いてよく見てみよう。テモテは「私から聞いた健全な言葉を模
範にしなさい」とパウロから言われた(第二テモテ1:13)
。ここでは、我々は限られた部分しか詳しく見ることができな
いが、その中に一つの型を見るためには十分である。そしてそ
の一つ一つは「神の聖なる秩序」の様々な側面を示してくれる

A:青銅の祭壇 B:青銅の洗盤 
C:幕屋 D:供えのパン E:燭台 F:香の壇 G:契約の箱


 これらは、「神の聖なる秩序」をどのように示しているのだ
ろうか?
A:青銅の祭壇は、「個々人の訓練」のための「神の秩序」(
ディバイン・オーダー)  を示している。(出27)。我々
はそれぞれ主の御心に自らを訓練する必要があ  る。どのよ
うにしてか?
1:我々が神の御心の中に入るためにはどうしなければならな
いかを表す。我々は  自分勝手に神に近づくことはできない
。いかに大きな犠牲を払い、いかに熱心  に自分の方法でな
そうともである。罪人は必ず幕屋の入り口に入り、青銅の祭 
 壇と血の海を見る。祭壇はあたかも血の池の真ん中にある心
臓のように見えた。  それはカルバリーの十字架とそこで流
された主の血潮である。主の十字架以外  に主に近づくこと
はできない。この世の宗教は金や瞑想や修行を要求する。外 
 から見ると、祭壇は血の海だったであろう。なぜなら、罪人
がその入り口で燔  祭をささげると、祭壇の周囲には血が飛
び散ったからである(十字架上で両腕  を広げたように)。
そして、祭司が幕屋の入り口近くの洗盤の水で体を洗うま  
では、その血の跡は脚から払われなかった(レビ1:3)。祭
壇はカルバリを  表している。カルバリに行くときに、一人
一人は神のただ中に行くのである。

2:罪人は身代わりの犠牲なくしては神の臨在に近づくことは
できない。我々もま  た、我々の身代わりとしてのキリスト
なくして神の御前に行くことはできない。

3:青銅の祭壇は2つのものからなっていた。格子がが土台に
あり、固く渇いた木  材(アカシヤ)で造られ、青銅で覆わ
れた祭壇がその周りにある。格子は「カ  ルバリの十字架」
を表している。すなわち、真の犠牲であるキリストを表して 
 いる。キリストの人性の面において、主は渇いた木材として
描かれている。す  なわち「かわいた土から出た根のよう」
であった。主は我々の裁きを担ってく  ださったので青銅は
裁きを象徴している。カルバリの十字架である。犠牲を表  
す格子は、祭壇の高さの半分に達していた。祭壇の高さ(3キ
ュビト)の真ん  中に格子の網がある。それは姿勢所の購い
の蓋の高さ1、5キュビトと同じで  ある(出25:10、
出27:1、5、ローマ3:25)。我々自信という犠  牲
はキリストと同じ高さ義を持った者とみなされる。旧約の聖徒
ノアやヨブも  そんな高い義を持つてはいなかった。祭壇は
格子の上あってそこに犠牲を置い  た。いけにえを捧げる時
はいけにえは見えず、炎のみがみえる。我々が主を受け入れた
時主にあって我々は隠されている。キリストの中にある者とみ
られる。  捧げた犠牲の中に我々を見てくださる時、キリス
トが義であられるように神は  「キリストの義の中に」我々
を見てくださる。契約の箱は「贖い」としてのキ  リストの
型である。

4:日ごとの犠牲が捧げられた。犠牲は毎日捧げられた。我々
は自分の体を生ける  供え物として差し出すべきである(ロ
ーマ12:1)。

5:火は決して消えることがなかった(レビ6:13)。この
ことは我々は聖霊の  火を消してはならない(第一テサロニ
ケ5:18~20)。つぶやきばかりで  賛美がないと聖霊
の火は消されてしまう。

6:傷のない捧げものだけが受け入れられた。この祭壇の上で
ささげられるものは  傷ある者は受け入れられなかった。神
は聖霊の火を我々に下して受け入れてく  ださるのだから、
我々の祈りと我々自身と、我々の務めが悪意と私欲と汚れか 
 ら離され清められなければならない。妨げられる祈りがある
。自分の願望や利  益は汚れたたものとなる。

7:灰を清いところに運び出すために灰皿がある。この業は旅
に出る前に葬られな  なければならなかった。我々は過去の
献身の上に生きることはできない。過去  の献身は将来のた
めには不十分である。日々新たな献身が必要だ。

8:その他にも祭壇の用具があった。神は十字架の用具を持っ
ておられる。あるも  のは十字架の裁きであり、あるものは
我々を絶えず訓練するのに助けとなる裁  きである。

9:祭壇は4角形であった。神の愛の十全性を意味し、我々か
らも同じ愛を求める。  カルバリは神の愛を完全に表す。我
々のための主の全き放棄は、我々の主に対  する全き明け渡
しをも意味すべきである。そうでなければ神の主権はどこにあ
  ろうか。

10:様々な祭具を伴う祭壇は旅の間覆われ、祭司たちの肩に
担われた。「さあ、十  字架を背負ってわたしに従いなさい
」(マルコ10:21)。我々は自らの十字  架を伝えるの
ではなく、神の栄光だけが現れるよう、主に預けるのである。
自  分の十字架を誇るな。見せるな。青銅の祭壇は十字架を
象徴しそのいけにえは  我々であり、我々が十字架に架かっ
たとみなされる。
B:青銅の洗盤は、「祭司の生き方の聖めと主への奉仕」のた
めの神の秩序と定めを表す(出30:18)。今の時代は我々
自身が祭司である。(第一ペテロ2:15、黙示録1:6)。
<ポイントは3つ。いかに聖められなければならないか。>

1:青銅の洗盤は、旋盤が造られた材料は婦人の姿見である。
女性たちの鏡から造  られた(出38:8)。我々にとって
は御言葉、御言葉は我々の鏡であり(ヤ  コブ1:23)、
自分を見て生き方を清め(エペソ5:26)、主への奉仕を行
  うためのものであった。主の奉仕者は聖くなければならな
い。洗盤は手と足の  ためのものである。「主の器を担うも
のよ、己を清く保て」(イザヤ52:11)。  体全体が御
言葉で聖められなければならない。

2:水で洗わずに仕える者は死ななければならなかった。水の
洗いはギリシャ語で  旋盤と同じ意味。御言葉と同じ。死な
ないために洗う。洗わないと死が来る。  奉仕者が聖められ
ないで奉仕を行うと死が来る。もし神の前で聖くなければ、 
 我々は、死ななければならない(出30:20)。

3:青銅は裁きを表す。洗いは聖める。青銅の洗盤は我々の内
に成就されることを  待ち望んでいる「御言葉」がそれが成
就される時まで我々の生き方を試みよう  とすることを表し
ている。ヨセフの生涯の中に見ることができる。その言葉が 
 ヨセフを裁いた。御言葉が与えられるとそれが実現するまで
我々を聖め試され  る。プライドなど。神の御言葉だけに信
頼するように。(詩編105:19)。
C 幕屋:教会という建物を建てあげのための神の秩序と定め

<4つのポイント>
1:正しい(御心の・神の)ことか。神の住まわれる聖所を建
てる
2:正しい(御心の・神の)時か。イスラエルがシナイ山で新
しく国家として形成されたとき。3:正しい(御心の・神の)
方法で。詳細にいたるまで神の御心に従って。
4:正しい(御心の・神の)助け手と。ベツァリエルはオホリ
アブ(キリストの型、助け手、聖霊)と共に、すべてのイスラ
エルのために「体への務め」を監督した。
 この原則は、テーブルの4本の脚のようなものである。もし
どれか1本でも欠けるならバランスを崩し不安定になる。言い
換えれば、その脚が片側に不均等になれば、テーブルの上の花
瓶は安定することができない。バランスは安定へと向かう。途
中で壊れた場合は足が1本2本足らなかったかもしれない。
 実際、これらは「聖霊」と「真理」の二つに分けられる。も
し、神のみ言葉、すなわち神の真理に仕えようとするなら、そ
れは「正しいこと」をしようとしている。聖霊に導かれようと
しているなら、「聖霊」は「正しい神の時」を正しくつかむよ
うにしてくださる。聖霊は「正しい神の助け手」を出現させて
くれる。
 賢い棟梁であるパウロは、これらの4つの生きた原則を、神
のガイドラインとして示している。パウロはその(非常によく
考えられた)計画を説明している(第二コリント2:11~1
3)。「私がキリストの福音のためにトロアスに行ったとき」
(2:12)。ここに「1本目の脚」「正しいこと」を行った
ということが見られる。「2本目の脚」は、「主は私のために
門を開いてくださいました」(第二コリント2:12)の中に
見られる「正しい神の時」である。「3本目の脚」はこれらの
ことの背景が使徒行伝16章にあり、そこでパウロはは「正し
い神の方法」をもって神の御心に従って行動していることが分
かる。ところが、「4本目の脚」である「正しい神の助け」は
見つけられない。「兄弟テトスに会えなかったので、心に安ら
ぎがなく、そこの人々に別れを告げて、マケドニヤへ向かいま
した」(第二コリント2:18)。神はピリピでの素晴らしい
働きを建てあげるためにも4つのポイントを持っておられた。
パウロはサタンによって陥れられる以上に、3本脚だけのテー
ブルを造ることはテーブルは倒れてその上に載せていたものを
失わせかねないことを知っていた。やがて、テトスはパウロに
会いにマケドニヤにやって来た。(第二コリント7:5~6)
。パウロは助け手であるテモテがこなかったとして開かれてい
る宣教地に向かわなかったのである。
 ローマ15章16章では「神は「正しいこと」をなさるとい
う教会という建物の基礎的なポイントを見ることができる。(
しるしと不思議の力によって)パウロはキリストの福音を満た
してきた(第二コリント15:9)と言っている。
 パウロは「正しい神の時」に、次の所に行こうとした。「で
すが、今は、聖徒たちに奉仕するためにエルサレムへ行こうと
しています。それで、私はこのことを済ませ、彼らにこの実を
確かに渡してから、あなたがたのところを通ってイスパニヤに
行くことにします。」(ローマ15:25、28)。いくつか
の節でパウロは「神の正しい方法」で行動しようとしているこ
とが分かる。それは、「他人の土台の上に建てるのではなく」
(ローマ15:20)、「キリストの満ちあふれる祝福をもっ
て」行くこと(ローマ15:29)を、とりなしによって慰め
られ(ローマ15:30)、「神の御心により喜びを持って」
(ローマ15:32)行くことができるようにであった。「4
本目の脚」すなわち「正しい神の助け」が既にローマにおいて
パウロを待っていた事実がローマの16章に述べられているす
べての素晴らしい助け手たちの内に見られる。
 「正しい神の助け手」を除く3本の脚を明確化するならそれ
は「正しい神の方法」という脚である。パウロは「正しい神と
の関係」が維持されるという「正しい神の方法」で行うことを
決めたのである。建築家はいくらかは自分で建てあげることが
できても、建ててあげる相手や一緒に建てる人との関係がうま
くいかなければそれは行き詰まるだろう。
 「キリストの満ちあふれる祝福をもって」(ローマ15:2
9)行くことは「正しい神の素材」を示唆する。建築家は「正
しい神との関係」をもっても、途中まで建てあげて、財政的に
も建てるための材料がなくなってしまったらその建築は行き詰
まりかねない。多くの教会はそのようにまさに途中でストップ
してしまっている。神の素材、神の恵み、そして9つの聖霊の
賜物が、建てあげる時に神が共に働けない、人間の能力や計画
によって取って換えられてしまっているからである。
 次にパウロが「私のためにともに力を尽くして神に祈ってく
ださい」(ローマ15:30)。と言っているように、我々が
様々な約束を要求すると言った「正しい神との契約の権利」が
ある。すなわち、建築家が途中までは建てあげられても、ある
者がやって来て、その権利が不正であると主張し、別人に所有
権が取って代わられることがありうる。
 最後に元気を回復することができるよう「神のみ旨により、
喜びを持って」(ローマ15:31)。建築家が「正しい神の
方法」で建てあげるのに十分熟練した技量をもっていないため
に「正しい神の結果」に失敗することを意味している。
 9つの実は「正しい神との関係」を表し、聖霊の9つの賜物
は「正しい神の素材」、9つの幸いは「正しい神との契約の権
利」の主張を表す。神の命令は「正しい神の結果」をもたらす
神の方法を我々を与えるものである。9つの「神の命令」はマ
タイ28章19,20節に示されている「あなた方は行って、
すべての国民を弟子として、・・あなた方に命じておいた一切
の事を守るように教えよ。見よ、わたしは・・いつもあなた方
と共にいるのである」。また、マルコ16:17,18の5つ
のしるしは、この「神の命令」を完成させる。「弟子たちは出
て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主も彼らと共に働き、
御言葉に伴うしるしをもって、その確かなことをお示しになっ
た」(マルコ16:20)。「神の命令」には「神の神の結果
」が自動的に伴うのである。
 幕屋は、神の至聖所すなわち「正しい神のことがら」であり
、神に対して聖別されるとき、それは「正しい神の時」に、そ
して「神がモーセに命じたように」、「正しい神の方法」と「
正しい神の助け手」によって建てあげられた。
 以上は教会という建物のための神の秩序の原則を示す一方、
どのようにして順次進められたかという「型」を示している(
第一コリント12:28)。先ず土台が据えられるために「使
徒」と「預言者」という土台を置くものが挙げられている。建
物が建つ前には手に測量計を持って周囲を回り、新しい一つ一
つの石がどこに据えられるべきを正確に見る「教師」が必要と
なる。次に壁をつけるが、これは「奇跡」と「癒しの賜物」を
求める新約の福音伝道を表す。それから、重い桁、梁、支える
ものなど、「助ける者と管理する者」を表す者がくる。そして
建物は住まうために仕上げられなければならない。聖霊の賜物
が「建てあげる」「品性」のためであるように、我々は聖霊の
賜物を必要とする。異言はその引き金であるから最後に挙げら
れる(必ずしもその重要性において最後である必要はない)。
エペソの教会はその型の実例である。
 教会は直角に順次進む層を持つミツバチの巣箱のようなもの
である。正常でない状況下でも、この秩序が損なわれたときに
、独特の機能美をこの巣箱が保ち続けるようにしてくださる神
は、同様に地域教会にも働いてくださる。教会がこれまで初代
の使徒的土台を積むことを知らずに来たが、格別の恵みをもっ
て教会を主の似姿に形作る事が主はおできになるのである。し
かし、仕損じた器をろくろの上で再び陶器師に形作られるよう
な教会グループは主の5役者に特別に従う必要がある(エペソ
4:11)。

D 供えのパンの台
幕屋の最初の部屋に東側から入ると右側にある。教えと教理を
教えるための神の定めと秩序を示している(出25:23~3
0、レビ24:5~9)。「机の上には供えのパンを置き、絶
えずわたしの前にあるようにする」(出エジプト25:30)。
<パンの意味は10掲げられる>
1 パン種を入れない純粋なパン「主の前にある種を入れない
パン」(出2    9:23、レビ8:26):我々の教理
も純粋な神の言葉を教えなけれ   ばならない(第一コリン
ト5:8)。自分の考えや思想を教えてはならな   
い。100%神のものを教えなければならない。パンは教え・
聖書の言葉で   ある。

2 12個である(11個でない「それで輪型のパン十二個を
焼く。」レビ2   4:5):「人は・・・神の口から出る
一つ一つのことばによる」(マタ   イ4:4)。全てのこ
とを教えなければならない。

3 順序よく並べられてある「一並び六個ずつ、二並びに置く
。」(レビ24:   6):「正しく教え」(口語訳第二テ
モテ2:15、正しく分けて<キン   グ・ジェイムス>)
。永遠の救いの真理や霊・魂体・を正しく分けてこなかっ  
 たために神の民(教会)の中で分裂が起こってきた。

4 4脚の机の上に置かれている「それを主の前の純金の机の
上に、」(レビ   24:6):机はキリストを表す。我々
はキリストを通して神の言葉を   頂く。パンは4つの足が
ある机の上に置かれた。机そのものがキリストで   ある。
パンの机も青銅の祭壇と同じようにアカシヤ材でできていた。
キリス   トの人性を指す。アカシヤ材に金で覆ってあった
。この金はキリストの神性   を表す。4人の福音書の著者
たちがキリストを支えている。

5 机の上の2つの金の飾り縁によって囲われてい「その回り
に金の飾り縁   を作り、その回りに手幅のわくを作り、そ
のわくの回りに金の飾り縁   を作る。」(出25:24、
25):金の机は金の飾り縁で覆われていた。   金の飾り
縁で形作られていた。聖霊と御言葉で覆われていた。我々の教
えも   聖霊と御言葉に留まっていなければならない。出て
はならない。聖霊と御言   葉の光が当たらない教理はどん
なものでも不健全な教えである。

6 純粋な乳香をぬられている(レビ24:7):乾燥から守
るものである。   礼拝と賛美が神の民の乾燥を防止する。

7 供えのパン(神の臨在がそこにあるパン:英訳)と呼ばれ
る(出25:30)   真理を悟るときキリストが我々の一部と
なる。「そして言は肉体とな    り、わたしたちのうちに
宿った」(ヨハネ1:14)。我々の教えも臨在   をもた
らすものでなければならない。

8 熱い状態に置かれる:「聖書は、すべて神の霊感を受けて
書かれたもの」   (第二テモテ3:16)。今も同じよう
に表される必要がある。焼きたての熱いパンが置かれた。我々
の教えも聖霊の新鮮な油注ぎによる新しい   ものを与えな
ければならない。

9 夜は燭台の明かりに照らし出されている:聖書を解釈する
とき油注ぎを   受けた務めを必要とする。聖所の北側にパ
ンの台があり、聖所の南側つま   りパンの台の向かい側に
ある燭台の明かりにいつも照らされていた。我々も   御言
葉を解きあかすときに聖霊の照明が必要である。

10 安息日に食される「彼は安息日ごとに、絶えずこれを主の
前に、整えて   おかなければならない。これはアロンとそ
の子らのものとなり、彼ら   はこれを聖なる所で食べ る
。」(レビ:24:8,9)。:パンは安息   日毎に備え
られた。古いパンは安息日に祭司たちが食べた。神が祭司たち
を   養われる事を意味する。安息日は安息「憩い」を意味
する。キリストが   青草の上で5000人に食物を与えら
れたように、我々も神の言葉を   食するのに安息の中にい
なければならない。パンは安息の中で食べなけ   ればなら
ない。

E 金の燭台
 教会統治のための神の定めを示す(出25:31~40)。
燭台は意思を表す。教会の方向付けは燭台が行う。教会の統治
は純金の燭台が表している聖霊の手に委ねられてきた。キリス
トは「わたしはぶどうの木、あなた方はその枝である」と言わ
れた(ヨハネ15:15)。全ての枝が出ている真ん中の幹・
支柱はキリストの主権を表す聖霊の働きを表している(ヨハネ
14:18)。燭台は7つの灯を表す。エペソ4:4によれば
「からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき
、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです」。7つ
の灯火は7つの霊を、(黙示録1:4,13,14)「また、
サルデスにある教会の御使いに書き送れ。『神の七つの御霊、
および七つの星を持つ方がこう言われる」(黙示録3:1)。
キリストを映し出す一つの主の霊の7つの現れを示す(イザヤ
11:2)。しかし一つの光。聖霊を象徴する。ローマ12:
6~8には各教会が必要とする7つの務めの代表的項目が挙げ
られている「私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜
物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応
じて預言しなさい。奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教
えなさい。勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しま
ずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行なう人は
喜んでそれをしなさい」。


<燭台の特徴は12である>
1 1タラントの純金で造られた。重さは示されているが高さ
、長さという大きさ   は示されていない。1は神を表し、
神は地域教会において同じように十分な   大きさとなれる
方である。聖霊をいかに受け入れるかによって大きさが決ま 
  るのである。

2 全体を構成する60の部分がある(出37:17~23)

   <燭台にあるもの>
    台座:1、
    支柱と枝:7、
    額:22、
    節:9、
    花弁:9、
    灯火皿:7/小計55
   <燭台の外にあるもの>
    火ばさみ:1、
    芯切りばさみ:1、
    芯とり皿:1、
    油の器:1、
    ともしびの油:1/小計5/合計60 
   
   60は神の義を表す。神の教会統治は神の義が働くとき
の型であり、それら   は神の恵みにより遂行される。60
=5×12 5は恵みの数であり、12   は教会の数を表
す。神の義を行いによって表す、恵みによって行うのである。

3 22個の額(出37:20):額はあめんどう(アーモン
ド)の花のような形   である。アーモンドの意味は見張る
、気をつける。アーモンドの花は春一番   に咲く。その花
は純白である。額は十全性を意味し、22個ある。新約の中 
  に我々を十分に満たしうる22の事柄がある。エレミヤ1
:11~12「次   のような主のことばが私にあった。「
エレミヤ。あなたは何を見ているのか。」   そこで私は言
った。「アーモンドの枝を見ています。」すると主は私に仰せ
ら   れた。「よく見たものだ。わたしのことばを実現しよ
うと、わたしは見張っ   ているからだ。」

4 9つのつぼみ・節(出37:21,22):支柱に3つ。
枝に6つある。聖霊   の賜物を表す(第一コリント12:
8~10)。節は装飾として上部の支柱   を支えるもので
あり、その賜物は天の御国の地位に我々を据えるためのもの 
  である(ローマ1:11)。ヘブル語では飾り物を意味し
賜物は花嫁を美し   く飾るためのものである「そうして、
このしもべは、銀や金の品物や衣装を   取り出してリベカ
に与えた。」(創世記24:53)、「第一コリント1:7)
。   教会を飾り強めるために与えられている。花嫁の教会
は9つの御霊の賜物を   持っている。

5 9つの花弁:節・つぼみと同様支柱に3つ。枝に6つある
。花びらは香りを放   つ。麗しい実。聖霊が治めている実
がある。節から花びらが出、がくは父、   子、御子。アロ
ンの杖もつぼみを付け花を咲かせ実を結んだ。父は全ての源、
   御子はこの世に花として表れ、人々に踏みにじられ、聖
霊が実を結ばせる証   をなす。キリストの香りを表してい
る。教会統治の9つの実の重要性を示し   ている。ガラテ
ヤ5:22,23に記されている実について見ていくと、そ 
  の文脈ではそれぞれの実をどう育ててゆくかが示されてい
る。たとえばガラ   テヤ6:2では愛をどのように培うか
を示している。その実全体をどう育て   てゆくかを知るた
めには”豊かな実り”と呼ばれる「隠れたるマンナ」の内  
 容を見ると良い。

6 全体が1つの金の塊:金の燭台は他のものに比べ多くの部
分があるが1つのも   のとして造られた。各部分は多種多
様であることは何ら問題ない。もし我々   がそれぞれ自分
のための王国を建てあげようとするなら、神の定めを壊して 
  しまう。我々の務めは我々のものではなく主のものである
。我々は全体と共   にまたキリストと共に一つなのである


7 金を打って造ってある(打ち物造り):教会が公に我々の
務めを受け入れる前   に試される必要がある。そこには木
や人による要素が何もない事に注意すべ   きである。10
0%人間的な要素を排除しなければならない。これが教会統 
  治についての神の定めである。

8 夜間のみ燃やす:7つの灯火は聖所を昼夜ともしていたと
考えられていた。し   かし光をともしたのは夜だけであっ
た。灯火は朝毎に燭台の灯火を整えると   きとある。芯を
切ったりして。夕方に火をつける。朝芯を整え。夕から朝ま 
  で灯火がたかれていた。「アロンとその子らは、あかしの
箱の前の垂れ幕の   外側にある会見の天幕で夕方から朝ま
で、主の前にそのともしびをととのえ なければならない」(
出27:21)。「アロンはその上でかおりの高い香を   
たく。朝ごとにともしびをととのえるときに、煙を立ち上らせ
なければなら   ない。アロンは夕暮れにも、ともしびをと
もすときに、煙を立ち上らせなけ   ればならない」(出3
0:7,8)。我々が灯火をともさなければならないと   
きは夜の時である。朝が来たら、暁の太陽であるキリストが来
られるからで   ある。新しい天地の夜明けが訪れるときに
は天においてともしびは必要がな   い。「もはや夜がない
。神である主が彼らを照らされるので、彼らにはとも   し
びの光も太陽の光もいらない。彼らは永遠に王である」(黙示
録22:5)。   いつも新しい油が必用とされる。パウロ
は「あなたがたは、以前は暗やみで   したが、今は、主に
あって、光となりました。」(エペソ5:8)と言ったあ  
 と、「聖霊に満たされよ」(エペソ5:18)と警告してい
る。初代教会は日々   祈りを持って絶えず聖霊に満たされ
ているよう訓練されていた。

9 芯切りはさみと心取り皿:「また、そのともしび皿七つと
、その心切りばさみ   と、心取り皿とを純金で作った」(
出37:23)。毎日不要な部分を切り除   き清めた。不
要な部分は取り除かれなければならない。純金は神の愛。それ
   で我々を扱ってくださる。取り扱われたそのものも大切
に涙の革袋に大切に   


とっていてくださる。真の務めがなされるとき、我々の涙が天
において蓄え   られるように神はその試練を真実に心に留
めておられることを示唆する「あ   なたはわたしの嘆きを
数えられたはずです。あなたの記録にそれが載ってい   る
ではありませんか。あなたの革袋にわたしの涙を蓄えてくださ
い」(詩編:   56:8)。芯を切り取ることは教会の訓
練の重要性を示している。

10 芯切りばさみは純金:「その心切りばさみも心取り皿も純
金である」(出25:   38)どんな芯が地面に落ちても
、人間の手ではそれらを拾い上げる事はで   きない。落ち
たものでも主には尊い。試練や訓練の間、神の愛という純金の
   芯切りばさみ以外のものを使って、聖徒を取り扱おうと
試みることによって、   人は神の秩序を破壊する。

11 油の器:「青色の布を取って、燭台とともしび皿、心切り
ばさみ、心取り皿お   よびそれに用いるすべての油のため
の器具をおおい、」(民数記4:9) 聖   霊の油を蓄え
るためのものである。祈りと賛美が神の貯水槽から油を引き出
   す油の器である。この油の器によって我々は聖霊の油注
ぎを蓄えていくこと   ができる。この油の器なくしてはと
もしびはすぐに輝きを失ってしまうので12 ジュゴンの皮に覆
われて運ばれた:イスラエルの荒野の旅では燭台と様々な  
 器は青色の布で覆われ、ジュゴンの皮の覆いで覆われ、さお
を差し入れて、   コハテの子たちの肩に載せて運ばれた(
民数記4:5~15)。この世はジュ   ゴンの皮を見るだ
けで、その中の美しさは見ない。あざらしの皮のような   
 じゅごんの皮に包まれて尊いものが運ばれた。夜に人が見る
とあざらしの皮、   鎚の器しかみえない。しかし、なんと
豊かなものが内にあることか。「私た   ちは、この宝を、
土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れな  
 い力が神のものであって、私たちから出たものでないことが
明らかにされる   ためです」(第二コリント4:7)。「
彼は主の前に若枝のように芽生え、砂   漠の地から出る根
のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もな  
 く、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。彼はさ
げすまれ、人々   からのけ者にされ、悲しみの人で病を知
っていた。人が顔をそむけるほどさ   げすまれ、私たちも
彼を尊ばなかった」(イザヤ53:2ー3)。しかし、「ま 
  つりごとはその肩にあり」(イザヤ9:6)。主も外見は
見栄えがなかった。   真の教会、本物の教会はしばしば外
側の美しさ大きな会堂、を欠如している。

F 香の壇
 礼拝のための神の定めと秩序を表している(出30:1~2
0、34~38)。
特徴は7つ
1 金で覆われたアカシア材でできている:アカシアは朽ちな
い乾いた木でキリス   トの人性を表す。金はキリストの神
性を示す。祭壇の上に薫香が置かれた。
   人の子であり、神の一人子であるキリストが我々の礼拝
の土台である。

2 血が振りかけられる:毎年、幕屋のその他のものと同様に
血が振りかけられた。   血によってのみ神の臨在への道が
造られる(出30:10)。

3 至聖所に最も近くある器具である:至聖所の中に入らなく
てもある意味で至聖   所に属しているものである。ヘブル
9:4の香炉は祭壇を意味する。「そこ   には金の香壇と
、全面を金でおおわれた契約の箱があり、箱の中には、マナ 
  のはいった金のつぼ、芽を出したアロンの杖、契約の二つ
の板がありまし    た。」これは礼拝におけるキリストを
中心性を表す。香の壇は契約の箱の前   にありその間には
垂れ幕だけがあったのである。



   
4 薫香は幕屋全体を満たす:青銅の祭壇からの新しい炭火に
粉の薫香が触れると   き、すぐにその香りは立ち上がり広
がっていき部屋中を満たした。「神は霊   ですから、神を
礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりませ 
  ん」(ヨハネ4:24)。教会という建物の全空気は聖霊
によって点火された   礼拝に満たされていなければならな
い。我々の霊をもって捧げる礼拝こそ主   が受け入れられ
る礼拝である。

5 夕に朝に焚かれる:アロンは金の燭台を朝整え夕から朝ま
でともすがその時    (朝・夕)に香をたいた。我々も整
えられてから礼拝しなければならない。
   我々がキリストの証人となり、、さまざなな試練によっ
て整えられていく時、   礼拝に多くの時間をかける必要が
ある。「こうしてペテロは牢に閉じ込めら   れていた。教
会は彼のために、神に熱心に祈り続けていた」(使徒12:5
)。

6 正しい火だけが求められる:香壇にはどんな異なる火も熾
してはならなかった。
   立法主義、任意な感情だけとか誤った熱意から生じる礼
拝、感動だけとかの   礼拝は受け入れられない。どんな礼
拝も、聖霊による礼拝が与える神との神   聖なる関係に取
って代わることはできない。どんな誤った熱心さや、異なっ 
  た霊の火も礼拝する者が主の前に死ぬことなくして、真の
礼拝に加わること   はできない「さて、アロンの子ナダブ
とアビフは、おのおの自分の火皿を取   り、その中に火を
入れ、その上に香を盛り、主が彼らに命じなかった異なっ  
 た火を主の前にささげた。すると、主の前から火が出て、彼
らを焼き尽くし、   彼らは主の前で死んだ。」(レビ10
:1,2)。

7 4つの角がある:香の壇は他の祭壇と同様4つの角がある
。角は力を意味する。   真の礼拝はそこに力を持つ。神の
定めてない方法で礼拝した場合には神の裁   きが下ってい
る。
    幕屋の真理は神の定めと秩序の意味を確かめ定義する
のに助けとなるが、   聖書全体にこそこの真理が満ちてい
ることを覚えなければならない。例えば   申明記16章2
1節にはイスラエルが偶像礼拝者として振る舞うべきではな 
  いことが語られている。神の民に対する戒めである。神の
民がアシュラ像    (礼拝する者を引きつけるために飾り
付けられた木立・人集め、広告塔)を   建てる可能性、恐
れがあったからである。今日のキリスト教会にもこの誘惑  
 はある。人集めに有名人、芸能人を招き人集めすることはア
シュラ像を建て   ることである。神はただ純粋にイエス・
キリストだけを求めて集まる事を求   めておられる。イエ
ス・キリストだけが栄光を捧げられている。特別な演出   
は求められていない。神は定めに従って礼拝していない教会に
裁きを下され   る。 なぜなら、そうなったときには会衆
はもはや純粋な動機で神を礼拝し   ていないからである。

G 契約の箱栄光のための神の定めを示す。
 至聖所の中にある。「アカシヤ材の箱を作らなければならな
い。長さは二キュビト半、幅は一キュビト半、高さは一キュビ
ト半。これに純金をかぶせる。それは、その内側と外側とにか
ぶせなければならない。その回りには金の飾り縁を作る。箱の
ために、四つの金の環を鋳造し、それをその四隅の基部に取り
つける。一方の側に二つの環を、他の側にほかの二つの環を取
りつける。アカシヤ材で棒を作り、それを金でかぶせる。その
棒は、箱をかつぐために、箱の両側にある環に通す。棒は箱の
環に差し込んだままにしなければならない。抜いてはならない
。わたしが与えるさとしをその箱に納める。また、純金の『贖
いのふた』を作る。長さは二キュビト半、幅は一キュビト半。
槌で打って作った二つの金のケルビムを『贖いのふた』の両端
に作る。一つのケルブは一方の端に、他のケルブは他方の端に
作る。ケルビムを『贖いのふた』の一部としてそれの両端に作
らなければならない。ケルビムは翼を上のほうに伸べ広げ、そ
の翼で『贖いのふた』をおおうようにする。互いに向かい合っ
て、ケルビムの顔が『贖いのふた』に向かうようにしなければ
ならない。その『贖いのふた』を箱の上に載せる。箱の中には
、わたしが与えるさとしを納めなければならない。わたしはそ
こであなたと会見し、その『贖いのふた』の上から、すなわち
あかしの箱の上の二つのケルビムの間から、イスラエル人につ
いて、あなたに命じることをことごとくあなたに語ろう」(出
エジプト25:10~22)。
 「主はモーセに仰せられた。「あなたの兄アロンに告げよ。
かってな時に垂れ幕の内側の聖所にはいって、箱の上の『贖い
のふた』の前に行ってはならない。死ぬことのないためである
。わたしが『贖いのふた』の上の雲の中に現われるからである
」(レビ16:2)。
 契約の箱は神の栄光を表す。至聖所には神の栄光が満ちてい
た。主の栄光はとても偉大である。主の栄光を啓示するには4
重の時代・王国で表される。創造からシナイ山(族長時代)シ
ナイ山からカルバリの十字架(律法時代)カルバリから再臨(
恵み・教会時代)再臨から千年王国(王国時代)この4つの時
代に次に述べる4つの神の栄光に対比される。

   
       
1 契約の箱はどのようにして主の栄光をあらわすか:神の栄
光というと4つある。   1神の御名の栄光。2神の御言葉
の栄光。3神の命の栄光。4神の臨在・交   わりの栄光で
ある。契約の箱の中には十戒の2枚の石(御言葉の栄光)、芽
   を吹き実をつけたアロンの杖と壷に納められたマナ(神
の命の栄光)、箱自   体がケルビムに座しておれれる主と
呼ばれ(御名の栄光)、その上を臨在の   雲の柱が(神の
臨在・交わりの栄光)ケルビムの間から立ち上っていた。

2 キリストの姿(コロサイ2:3、ローマ3:25「神は、
キリスト・イエスを、   その血による、また信仰による、
なだめの供え物として、公にお示しになり   ました。それ
は、ご自身の義を現わすためです。」なだめの供えものは契約
   の箱の購いの蓋である。契約の箱自体がキリストを表す
。)である契約の箱   はイスラエルの旅の宿営の真ん中、
そのもっとも奥にあった。旅の導き手で   あった。全ての
移動はこの先頭にゆく契約の箱に従った。我々が主に中心に 
  なって頂き、導き手とな

ミッションあどない・いるえ
代表 伝道者 ピーター 藤 正信
http://missionjehovehjireh.blogspot.jp
https://twitter.com/MJJ_PeterFuji
MissionJehovahJireh@yahoo.co.jp

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